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二条天皇 にじょうてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条天皇
にじょうてんのう

[生]康治2(1143).6.17. 京都
[没]永万1(1165).7.28. 京都
第 78代の天皇 (在位 1158~65) 。名,守仁。後白河天皇の第1皇子。母は贈皇太后源懿子 (いし) 。久寿2 (55) 年皇太子となり,保元3 (58) 年8月 11日即位。院政を否定して天皇親政の実をあげようとしたので,父後白河上皇との間は円滑を欠いた。

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デジタル大辞泉の解説

にじょう‐てんのう〔ニデウテンワウ〕【二条天皇】

[1143~1165]第78代天皇。在位1158~1165。後白河天皇の第1皇子。名は守仁。親政を行おうとして父の院政と対立した。平治の乱で幽閉されたが、平清盛が救出。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条天皇 にじょうてんのう

1143-1165 平安時代後期,第78代天皇。在位1158-65。
康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河天皇の第1皇子。母は藤原懿子(いし)。僧籍にあったが,父が皇位をついだため還俗(げんぞく)して皇太子となり,保元(ほうげん)3年即位。翌年平治(へいじ)の乱がおき,平清盛が力をつよめた。父上皇の院政下で,政治の主導権をにぎろうとしたがはたせなかった。永万元年7月28日死去。23歳。墓所は香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)(京都市北区)。諱(いみな)は守仁(もりひと)。
【格言など】雲はみな峯のあらしにはらはせてさやけく月の澄みのぼるかな(「続詞花和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

二条天皇

没年:永万1.7.28(1165.9.5)
生年:康治2.6.17(1143.7.30)
平安後期の天皇。諱は守仁。後白河天皇大納言藤原経実の娘で左大臣源有仁の猶子懿子(贈皇太后宮)との皇子。久寿2(1155)年父後白河天皇の即位に伴い皇太子となったことが叔父崇徳上皇の怒りを誘い,保元の乱(1156)の導因となる。保元3(1158)年即位。父の院政に対抗し,親政を行おうとして軋轢を深める。しかし病に冒され,永万1(1165)年6月幼い皇子六条天皇に譲位し,翌月崩御。争乱によって衰微していた歌壇を復興し,『続詞花和歌集』を編纂させる。また,『平家物語』には二代后藤原多子の再入内を強要する,父に従わない天皇として登場する。

(櫻井陽子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

にじょうてんのう【二条天皇】

1143~1165) 第七八代天皇(在位1158~1165)。名は守仁もりひと。後白河天皇第一皇子。在位中、父上皇の院政に抗し、天皇親政をはかったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

二条天皇
にじょうてんのう
(1143―1165)

平安後期の天皇(在位1158~65)。名は守仁(もりひと)。康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の決まらないまま早世したとき、祖父鳥羽(とば)上皇、養母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))、関白藤原忠通(ただみち)らは、守仁を皇位につけようと画策した。しかし、父雅仁(まさひと)を差し置いて実現できず、1155年(久寿2)その即位(後白河天皇)と同時に皇太子となり、保元(ほうげん)の乱が後白河天皇方の勝利に終わると、父の譲位によって58年(保元3)即位した。しかし、後白河上皇、信西(しんぜい)らの院政派と二条天皇らの親政派との併立は平治(へいじ)の乱に発展していった。65年(永万1)6月皇子順仁(のぶひと)親王に譲位し(六条(ろくじょう)天皇)、7月28日死去。墓は京都市北区平野八丁柳(ひらのはっちょうやなぎ)町の香隆寺(こうりゅうじ)陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』

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