デジタル大辞泉 「寛喜」の意味・読み・例文・類語 かんぎ〔クワンギ〕【寛喜】 《「かんき」とも》鎌倉前期、後堀河天皇の時の年号。1229年3月5日~1232年4月2日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「寛喜」の意味・読み・例文・類語 かんぎクヮンギ【寛喜】 ( 「かんき」とも ) 鎌倉時代前期、後堀河天皇の代の年号。天変地異により安貞三年(一二二九)三月五日改元。寛喜四年(一二三二)四月二日貞永(じょうえい)と改元。将軍藤原頼経、執権北条泰時の時代。出典は「後魏書」の「仁興二温泉一寛興二喜楽一」。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「寛喜」の解説 かんぎ【寛喜】 日本の元号(年号)。鎌倉時代の1229年から1232年まで、後堀河(ごほりかわ)天皇の代の元号。前元号は安貞(あんてい)。次元号は貞永(じょうえい)。1229年(安貞3)3月5日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『後魏書(ごぎしょ)』を出典とする命名。寛喜年間の鎌倉幕府の将軍は藤原(九条)頼経(よりつね)(4代)、執権は北条泰時(3代)。1230年(寛喜2)から翌年にかけて、鎌倉時代最大規模といわれる飢饉(ききん)(寛喜の飢饉)が発生した。◇「かんき」とも読む。 かんき【寛喜】 ⇒寛喜(かんぎ) 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報