コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

六条天皇 ろくじょうてんのう

6件 の用語解説(六条天皇の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

六条天皇
ろくじょうてんのう

[生]長寛2(1164).11.14. 京都
[没]安元2(1176).7.17. 京都
第 79代の天皇 (在位 1165~68) 。二条天皇の第2皇子。母は大蔵大輔致遠の娘伊岐氏。名,順仁 (のぶひと) 。永万1 (65) 年受禅,同年7月即位したが,祖父後白河上皇が院政を行なった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

ろくじょう‐てんのう〔ロクデウテンワウ〕【六条天皇】

[1164~1176]第79代天皇。在位1165~1168。二条天皇の皇子。名は順仁(のぶひと)。後白河上皇の院政がしかれていたが、退位して元服以前に太上天皇となった。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

六条天皇 ろくじょうてんのう

1164-1176 平安時代後期,第79代天皇。在位1165-68。
長寛2年11月14日生まれ。二条天皇の皇子。母は伊岐致遠(いきの-むねとお)の娘。父の病気で2歳で即位。後白河上皇が院政をおこない,平清盛太政大臣となる。仁安(にんあん)3年5歳で高倉天皇に譲位。元服以前に太上天皇を称したのは初めて。安元2年7月17日死去。13歳。墓所は清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は順仁(のぶひと)。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

六条天皇

没年:安元2.7.17(1176.8.23)
生年:長寛2.11.14(1164.12.28)
平安後期の天皇。諱は順仁。二条天皇と壱岐致遠の娘の皇子。後白河・二条父子の政争の中で,父の病により永万1(1165)年2歳で即位。仁安3(1168)年5歳で叔父高倉天皇に譲位し,元服以前に太政天皇になる。

(櫻井陽子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

大辞林 第三版の解説

ろくじょうてんのう【六条天皇】

1164~1176) 第七九代天皇(在位1165~1168)。名は順仁のぶひと。二条天皇の第二皇子。二歳で即位、在位3年で退位。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

六条天皇
ろくじょうてんのう
(1164―1176)

平安後期の天皇(在位1165~68)。名は順仁(のぶひと)。二条(にじょう)天皇の第二皇子、母は伊岐(いき)氏の娘。父二条から1165年(永万1)2歳のときに譲られて即位。在位中は後白河(ごしらかわ)上皇が院政を行っていた。後白河は、病床にあった平清盛(きよもり)が死んだときに天皇支持派の勢力が策動することを恐れ、68年(仁安3)六条の位を奪い、自分の皇子憲仁(のりひと)親王(高倉(たかくら)天皇)を即位させ、六条を太上(だいじょう)天皇とした。安元(あんげん)2年7月17日死去。墓は京都市東山区清閑寺歌(せいかんじうた)ノ中山(なかやま)町の後清閑寺陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

六条天皇の関連キーワード軽空母建造計画邦画活況近鉄と奈良玉葉大内裏畠山重忠硫黄島(東京)ウプサラ玉葉五摂家

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone