日本歴史地名大系 「北青沢村」の解説 北青沢村きたあおさわむら 山形県:飽海郡八幡町北青沢村[現在地名]八幡町北青沢荒瀬(あらせ)川上流右岸の山間の村。大蕨(おおわらび)村の東にあり、南は同川を境に上南青沢村。集落は東から西に小屋淵(こやぶち)・家(いえ)ノ前(まえ)・塚沢(つかさわ)・大芦沢(おおあしざわ)・貝沢(かいざわ)と山麓に沿って散在する。飽海郡と最上郡を結ぶ青沢越(あおさわごえ)街道はこの小集落沿いを通る。中台(なかだい)に縄文時代の集落跡、貝沢に縄文時代と平安時代の集落跡がある。異本庄内物語(飽海郡誌)に、天正一六年(一五八八)本庄繁長に敗れた最上氏配下の中山玄蕃は「青沢越といふ山道」を越えるため、当村から案内人を雇い峠近くで殺害したとある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一五八石余、寛永元年庄内高辻帳では一七〇石余。宝暦七年(一七五七)には高一七五石余、うち池田喜次郎新田一四石余、喜作新田一石余(「土目録」相馬文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by