日本歴史地名大系 「最上郡」の解説
最上郡
もがみぐん
県の北東部に位置し、県内陸地帯では最北部にあたる。かつての最上郡のうち中央部は新庄市域となったため四町三村で構成され、東は宮城県、北は秋田県、西は
東は奥羽山脈、北は同山脈から出羽山地に連なる
最上郡
もがみぐん
- 山形県:出羽国
- 最上郡
古代律令制下に成立した郡で、仁和二年(八八六)北半を村山郡として分郡するまでは、南の
〔古代〕
平城宮跡出土木簡に「陸奥国裳上郡裳(以下欠)」とあり、当郡は当初陸奥国の所管であった。和銅五年(七一二)九月出羽国が建置されると、翌一〇月一日「割陸奥国最上置賜二郡隷出羽国焉」と陸奥国から分離して出羽国所管となった(「続日本紀」同年一〇月一日条)。この所管替については、同書霊亀二年(七一六)九月二三日条に「以陸奥国置賜最上二郡及信濃・上野・越前・越後四国百姓各百戸、隷出羽国焉」とあることから和銅五年には所管替えの方針を示し、実施されたのが霊亀二年であると理解する説もある。また、この最上郡は現在の村山地方と最上地方を合せた地域にあたり、東部の奥羽脊梁山脈が陸奥国との境界をなし、西部の出羽山地が庄内三郡との境界をなしていた。北部の郡域は蝦夷地の開発の進展に伴って拡大しつつあったが、現在の最上郡北部から秋田県
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報