最上郡
もがみぐん
面積:一五八一・四八平方キロ
最上町・舟形町・大蔵村・戸沢村・鮭川村・真室川町・金山町
県の北東部に位置し、県内陸地帯では最北部にあたる。かつての最上郡のうち中央部は新庄市域となったため四町三村で構成され、東は宮城県、北は秋田県、西は飽海郡八幡町・平田町・松山町と東田川郡立川町、南は西村山郡西川町・寒河江市・村山市・北村山郡大石田町・尾花沢市に接する。以下の記述は新庄市域を含むかつての最上郡域を対象とするが、この郡域は元和八年(一六二二)の最上氏改易と相前後して定まったもので、律令制下では当初陸奥国最上郡、のち出羽国最上郡の郡域に含まれ、仁和二年(八八六)出羽国最上郡から村山郡が分れて以降は(「三代実録」同年一月一一日条)、近世初期まで村山郡のうちとして推移した。(→村山郡)
東は奥羽山脈、北は同山脈から出羽山地に連なる神室山地・丁岳山地、西は出羽山地、南は葉山・猿羽根峠・金山などに囲まれた山間の地で、北流してきた最上川は郡の南で西に向きを変え、先行谷を形成しながら出羽山地を横断、庄内地方へ抜ける。同川は右岸に最上小国川・新田川・鮭川、左岸に銅山川(烏川)・角川などの支流を合せ、おもな耕地・集落はこれら河川の流域に展開する。最上小国川の中流域には向町盆地(小国盆地)、鮭川支流泉田川・升形川・指首野川および新田川の流域に新庄盆地が形成される。猿羽根峠(隧道)を越えて北上する国道一三号(羽州街道)が縦断し、雄勝峠(隧道)越で秋田県へ抜ける。同国道と六キロ余の共用部を有する国道四七号は、舟形町で東に分岐して最上小国川沿いに仙台方面へ抜け、新庄市で西方へ分岐して酒田市に通じる。国道一三号の西側をJR奥羽本線が通り、国道四七号にほぼ並行し、西方へはJR陸羽西線、東方へはJR陸羽東線が走る。気候は寒冷多湿で冬季の降雪量は多く、平年で年間の根雪期間は一〇〇日を超え、日照時間も県内他地域に比べ短く、気象条件は稲作などの農耕には向いていない。
〔原始〕
新庄盆地周辺では旧石器時代後期の遺跡が多く残るが、最上川、および支流の最上小国川・鮭川・角川などの流域段丘上には中期をピークとする数多くの縄文遺跡が分布する。おもな遺跡としては旧石器時代後期を主とし縄文時代にわたる新庄市金沢の山屋遺跡群、中石器時代(旧石器時代晩期)の戸沢村津谷の津谷遺跡、縄文時代早・前期の舟形町の大畑山遺跡(一部は大石田町)、同中期を主とする大蔵村清水の白須賀遺跡、同時期の最上町月楯の水木田遺跡、金山町の本町遺跡、同晩期を中心とする真室川町釜渕の釜渕遺跡、縄文時代各期にわたる複合遺跡として最上町向町の水上遺跡などがあげられる。
最上郡
もがみぐん
古代律令制下に成立した郡で、仁和二年(八八六)北半を村山郡として分郡するまでは、南の置賜郡を除く県内陸部全域を郡域とした。分郡後はほぼ現在の天童市・東村山郡中山町・西村山郡朝日町を結ぶ線以南(置賜地区以北)が当郡の郡域であったと考えられる。しかし近世初期、最上・村山両郡の呼称は逆転し、現在の最上地区を最上郡、村山地区を村山郡とする呼称が定着した。本項では近世に村山・最上両郡の呼称が逆転するまでの最上郡を記述の対象とする。「和名抄」東急本・刊本では「毛加美」、「拾芥抄」では「モカミ」の訓がある。東急本では郡可・山方・最上・芳賀・阿蘇・八木・山辺・福有・梁田・大倉・村山・長岡・大山・福有(刊本は福岡)の一四郷で構成されるが梁田以下六郷は分郡前の村山郡との重複とみられ、高山寺本では郡下(郡可)以下八郷のみをあげる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 