北馬屋町(読み)きたうまやちよう

日本歴史地名大系 「北馬屋町」の解説

北馬屋町
きたうまやちよう

[現在地名]堺市桜之さくらのひがし一―二丁・綾之あやのひがし二丁

山口やまのくち二丁目とその南の綾山口あややまのくち町の東にあり、山口二丁目側は十間じゆつけん筋を挟む両側町、綾山口町側は片側町。馬持の集住地で、南組の南馬屋町に対する名称。元禄二年(一六八九)堺大絵図には「北馬屋町」とあり、山口二丁目東の部分は東頬一九筆・西頬一八筆、綾山口町東の部分は東頬一八筆の宅地からなり、町会所は山口二丁目側の東頬に所在。二〇筆は「馬持」とあり輸送業の同業者町を形成していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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