日本歴史地名大系 「十善寺村」の解説 十善寺村じゆうぜんじむら 長崎県:長崎市十善寺村[現在地名]長崎市十人町(じゆうにんまち)・館内町(かんないまち)・稲田町(いなだまち)・中新町(なかしんまち)など小島(こしま)村の西にあり、西は大浦(おおうら)を挟んで戸町(とまち)村と接する。長崎外(そと)町の南端部にあたり、地内に唐人(とうじん)屋敷・十人町などが置かれ、北東は寄合(よりあい)町の遊廓街となっている。近世初頭、「十善寺」域に耶蘇宗門の寺が建立されていたと伝え(山口家本「長崎根元記」)、耶蘇寺ともいわれたが(華蛮交易明細記)、村名はこれに由来するものと考えられる。唐人屋敷の北西に小番所が置かれ、大きな木戸が立てられ、大浦戸町道と小田原(こたのはら)外大久保墓道が分岐していた(「長崎七ヶ所関所図」長崎大学経済学部図書館武藤文庫蔵)。はじめ大村藩領で、慶長一〇年(一六〇五)より幕府領で長崎代官支配となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by