1698-1867年(元禄11-慶応3)の長崎で,中国やオランダとの貿易,利銀の幕府運上や市中配分などの総勘定所で,幕府勘定所・長崎奉行の支配下にあった市政機関。初めは少人数であったが急増し,五ヵ所糸割符会所,代物替(しろものがえ)会所,雑物替(ぞうもつがえ)会所などを吸収して,1734年(享保19)元方・払方の2部局制をとり組織・機能が確立した。筆頭の町年寄・町乙名(おとな)が昇格した会所調役・目付以下,役株世襲の吟味役,請払役,目利,筆者など,1853年(嘉永6)には232人。唐・蘭通詞(つうじ)や唐人屋敷・出島の乙名,組頭などと連携しながら輸入品を査定価格(〈値組み〉)で買い取り,五ヵ所本商人に入札で売り立て,10~20割余の差益で輸出貿易(銅,海産物など)の差損を補てんし,幕府運上,奉行役金,諸役所経費のほか,過半は地役人の役料給銀に,そして箇所銀,かまど銀,寺社寄進銀その他の市政経費に充てた。これらの勘定帳は,長崎奉行を通して幕府勘定奉行の監査をうけた。
執筆者:中村 質
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江戸時代、長崎貿易を運営するため組織された商人の機関。1631年(寛永8)京都、堺(さかい)、長崎、江戸、大坂の五か所糸割符(いとわっぷ)が行われると、糸割符仲間は五か所商人会所を組織して、生糸の買付け、配分を行った。その後、貿易制度の変遷とともに、市法(しほう)会所(1675)、割符会所(1685)と改められ、1698年(元禄11)の改正で長崎会所と称された。中国、オランダ貿易を独占的に行い、利益金の一部は、運上金として幕府に納め、一部は地下(じげ)配分銀として町民に配分した。また銅、樟脳(しょうのう)は市価以下で輸出したため、その差額を利益金から補給した。会所は長崎奉行(ぶぎょう)の監督下にあり、主要な役人調役は町年寄が兼ね、町政にも関与した。
[永積洋子]
近世,幕府が貿易統制のために長崎に設立した機関。調役・目付・吟味役・請払役・目利などがおかれた。創設は1697年(元禄10)と98年の2説あるが,事実上98年から活動。唐・オランダ貿易の会計事務を管掌,貿易利銀のうち地下配分(じげはいぶん)・銅買金を除く残りを幕府への運上金とした。取引方法は1715年(正徳5)会所役人が輸入品の評価購入を行い,国内商人に販売する値組商法を確立。輸出品である銅と俵物の確保に努め,50年(寛延3)御用銅会所,85年(天明5)長崎俵物会所を設置し,集荷体制を強化した。貿易収支は銅・俵物の輸出品の損失を,輸入品の購入価格と落札価格との差益額で補填するものであった。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…例えば武器は1634年(寛永11)輸出は禁止され,外国貿易での抜荷にあたる。俵物三品(いりこ,干しアワビ,ふかのひれ)は1785年(天明5)長崎会所以外の者が生産者から買うことは禁止されたので,それ以外の者と取引するのは国内貿易での抜荷である。この場合および次の(2)の場合は抜買ともいった。…
※「長崎会所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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