千光寺経塚(読み)せんこうじきようづか

日本歴史地名大系 「千光寺経塚」の解説

千光寺経塚
せんこうじきようづか

[現在地名]喜多方市慶徳町松舞家 金山

松野まつの集落の北、千光寺の寺跡の北側にある。会津盆地西縁山地の東端部にあたり、標高は約二九〇メートル。「家世実紀」や「新編会津風土記」によると、寛文一〇年(一六七〇)村人が同寺千手堂跡から銘文の刻まれた石函を掘出し、ほかに磬一・独鈷一・銅鈴二・大刀四・小刀二〇余・瓶七などを発見したが、藩命でこれらは再び同所に埋戻されたという。昭和九年(一九三四)村民が再び発見した。経筒外容器である石櫃身部上面には「大治五年歳次庚戌辛酉四月二日」、蓋部には「大檀越財主平孝家 散位源朝臣俊邦 縁支同代」と刻まれ、東北地方最古の在銘経塚遺物である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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