日本歴史地名大系 「千手堂町」の解説 千手堂町せんじゆどうまち 大分県:大分市府内城下千手堂町[現在地名]大分市府内町(ふないまち)一丁目・大手町(おおてまち)一丁目城下町組の一町。府内城南東の外堀に沿う小物座(こものざ)町・天神(てんじん)町・後小路(うしろこうじ)町・古川(ふるかわ)町・米屋(こめや)町の五町からなる。一町三郷制のもとで町組の千手堂町(千手堂庄屋)の支配下では、門外町で東新(ひがししん)町の南にある元(もと)町を加えた六町が置かれた。正保郷帳には千手堂とみえ、田高一二〇石余・畑高一二六石余、笠和(かさわ)郷に所属。明暦三年(一六五七)の御取ヶ郷帳(府内藩記録)以降千手堂町で高付される。宝永七年(一七一〇)の高二三九石余、うち六石余免許、町屋敷高五六石余・田畑高一七六石余。曲輪内家数一四一、うち四軒免許、人数六〇〇、うち山伏五(豊府指南)。明治八年(一八七五)松末(まつすえ)町などと合併して大分町となる。〔小物座町〕府内城の南にある。東西に延びる町で、東は天神町、西は拾間(じつけん)堀に架かる橋で町組府内町の唐人(とうじん)町に続き、北は町組松末町の中之(なかの)町。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by