日本歴史地名大系 「府内城下」の解説
府内城下
ふないじようか
- 大分県:大分市
- 府内城下
〔町の建設と構成〕
慶長六年(一六〇一)三月、二万石を領して府内城に入城した竹中重利は徳川家康の許可を得て城郭の増築に着手、同七年完成した。続いて新城下の建設に取りかかった。城塁の外側に東西一〇町・南北九町、中を碁盤目状に四〇余町に区画した町が造られ、府中から町屋や
慶長府内絵図によって城下を概観すると、府内城三の丸(侍町)を囲む中堀の外側に城下町があり、その外周は西から南にかけて外堀で区画される。三の丸とは南東角にある東口、北西角の北口、南西の西口にそれぞれ架かる土橋で結ばれる。城下町南東部の塩九升口から船入(外堀)を東に渡ると門外町の塩九升町があり、南進して東新町に向かう道は日向道(臼杵・府内城路)となって南に延びる。文久元年の府内城下絵図では「日向薩摩エノ大道」と記す。道の右手に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報