千縄村(読み)ちなわむら

日本歴史地名大系 「千縄村」の解説

千縄村
ちなわむら

[現在地名]朝日村千縄

三面みおもて川右岸の約五〇メートルほどの断崖上の小盆地にあり、南は川を隔てて茎太くきた村に対する。村名は三面川上に千本の縄をわたし、浅瀬をこの縄につかまって徒歩で渡ったことに由来するとされる。明治期までは吊橋が架けられていた。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図に「大国但馬分千縄村 中」とみえ、本納一九石七斗三升三合・縄高二二石一斗二升九合、家五軒とある。近世は村上藩領。元和五年(一六一九)の堀主膳宛堀直寄知行宛行目録(新潟大学蔵)によれば猿沢組に属し、一四七石三斗三升四合が宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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