岩船郡(読み)いわふねぐん

日本歴史地名大系 「岩船郡」の解説

岩船郡
いわふねぐん

面積:一三四〇・四三平方キロ
関川せきかわ村・荒川あらかわ町・神林かみはやし村・朝日あさひ村・山北さんぽく町・粟島浦あわしまうら

新潟県の北端に位置し、北は山形県西田川にしたがわ温海あつみ町、南は北蒲原きたかんばら黒川くろかわ村・中条なかじよう町に接し、西は日本海、東は朝日山地で、その主稜が山形県との境である。また、岩船港(現村上市)から海上約三五キロの孤島粟島(現粟島浦村)も当郡に属する。郡の八五・九パーセントは山林で、平地は郡の南部荒川流域、中部の三面みおもて川や門前もんぜん川・高根たかね川流域あるいは岩船潟(現村上市)周辺に広がり、北部の山北町には少ない。標高一八〇〇メートル前後の主稜が南北に横たわる磐梯朝日国立公園の朝日山地は夏でも随所に雪田や雪渓を残し、県境付近は花畑をつくる。一方蒲萄ぶどう山塊が海に落込んだ笹川流ささがわながれは、地殻変動と波浪により造形された奇岩に松の緑が相まって美観を呈している。海岸部は瀬波笹川流粟島県立自然公園となっている。農業地域は関川村・荒川町・神林村・朝日村の各河川流域に広がり、水産業は粟島・山北町の海岸部、林産業は朝日村北部と山北町が盛んである。

〔原始・古代〕

荒川流域の関川村土沢つちざわ付近、いし川流域の神林村桃川ももがわ付近、勝木がつぎ川の上流山北町北黒川きたくろかわ地内から石器が出土している。縄文期から古墳期の遺跡は郡内全域にみられるが、海岸部よりも山間部にやや多い。なかでも昭和三五年(一九六〇)山北町堀ノ内上山ほりのうちうえのやま遺跡から出土した足形付土製品や巻貝形土製品は国の重要文化財に指定された。

七世紀後半に成立した当時の越後国の領域は阿賀野川以北で、沼垂ぬたり郡と磐船いわふね郡、およびその北方とされ蝦夷対策の前進基地であった。「磐舟柵」の設置は「日本書紀」大化四年(六四八)条に初めてみえ、慶雲二年(七〇五)には威奈大村が越後城司に任ぜられている(「威奈真人大村墓誌」大阪四天王寺蔵)。その越後城の置かれた場所こそが越後国府とされ、渟足ぬたり柵か磐舟いわふね柵のいずれかであると考えられている。和銅五年(七一二)出羽国が分立し、当郡は越後国の北端に位置することになった。郡名の初見は天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)で、奈良東大寺の雑用料にあてられた「越後国弐伯戸」のうちに「磐船郡山家郷五十戸」がみえる。「石船郡」と記されることもあった。「和名抄」刊本・東急本には郡内の郷として「佐伯」「山家」「利波」「坂井」「余戸」をあげ、高山寺本では「余戸」の記載を欠く。山家やまや郷は現関川村下関しもせき女川おんながわ周辺、坂井さかい郷は北蒲原郡黒川村坂井、余戸あまるべ郷は山北町府屋ふや周辺と考えられているが、いずれも確証を欠く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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