千駄塚浅間遺跡(読み)せんだづかせんげんいせき

日本歴史地名大系 「千駄塚浅間遺跡」の解説

千駄塚浅間遺跡
せんだづかせんげんいせき

[現在地名]小山市千駄塚

おもい川左岸の台地上に位置し、古代の下野国寒川さむかわ郡の郡衙跡と推定されている遺跡。昭和六一年(一九八六)以降数次にわたる調査によって、奈良から平安時代の掘立柱建物跡三五棟、基壇建物跡三棟、さらに建物を区画する溝が発見されている。掘立柱建物跡の多くは多量の炭化米が出土しているので正倉(倉庫)と思われ、しかも正倉は整然と配置され、正倉群を取巻く堀の一部も確認されている。この堀跡からは炭化米が炭化材とともに多量に出土している。また当遺跡から出土した墨書土器には、「寒川」「寒厨」「厨」と記したものがあり、ほかに円面硯・釘なども出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む