半野村(読み)はんのむら

日本歴史地名大系 「半野村」の解説

半野村
はんのむら

[現在地名]富士宮市半野

上条かみじよう村の北、はら村の西、富士山西麓丘陵末端部にあってしば川と大倉おおくら川に挟まれ、東部は天子てんしヶ岳連峰の東麓山地に立地する。天正二年(一五七四)一一月晦日の武田家朱印状(木本文書)によれば、武田氏は江尻えじり(現清水市)興国寺こうこくじ(現沼津市)などの普請材木採取を命じた富士北山ふじきたやまのうち「半野」の甚左衛門・文左衛門・善右衛門・新左衛門・次郎右衛門・新右衛門・孫右衛門・清左衛門・四郎兵衛・三右衛門・清次郎らを含む四九人の杣人に対し、奉公の見返りにその他の普請役一切を免除している。同一一年五月三日、徳川家康は武田家と同様に甚左衛門らに普請材木伐り出し奉公の代りにその他の普請役を免除している(「徳川家康朱印状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む