南ノ町(読み)みなみのまち

日本歴史地名大系 「南ノ町」の解説

南ノ町
みなみのまち

[現在地名]下関市大字豊浦町

長府を東流する壇具だんぐ川より北に山陽道を挟んでできた両側町。町のほぼ中央から西に山陽道から分れて下ノ関道が西隣する惣社そうじや町を通って続く。

天正二年(一五七四)八月一四日付の長門国一二両社祭礼之事(長門二宮忌宮神社文書)に「南ノ町」とみえる。正保元年(一六四四)一二月八日付の長門国一二両社祭礼之事長府市場之事(同文書)

<資料は省略されています>

とあり、染物衣類商売がなされていたことを示している。

江戸時代初期の様子を伝える長府古図(毛利家蔵)によれば、山陽道に面する町並はすべて町屋で、その裏に家臣屋敷がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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