南割下水
みなみわりげすい
御米蔵の東から横川(大横川)を経て東の十間川(横十間川)までの間を流れていた。本所の開発にあたって万治二年(一六五九)に開削された。北側に並行して流れる北割下水に対して南割下水とよばれた。また近辺の地は南割下水とも俗称された。御米蔵の東から横川の長崎橋の西側までが長さ八町余、長崎橋の東から十間川までが長さ七町余、堀幅は九尺ほど(葛西志)。横川より東側では岸堀、のちきんし堀(錦糸堀)と俗称された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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