隅田川が江戸湾に注ぐ河口にできた寄洲。明暦―万治(一六五五―六一)頃久能山惣御門番榊原越中守に与えられ、別邸としていたところから命名された。しかし高波による浸食などで屋敷地としては利用できず明地となっていた。元禄年中(一六八八―一七〇四)浚土により地面をかさ上げし、正徳元年(一七一一)以降越中島町が成立した。享保六年(一七二一)に越中島借地、同一九年に
イギリス・中国間で勃発したアヘン戦争(一八四〇―四二)の情報は幕府に対外的危機感をつのらせ、江戸の海防強化に目を向けさせた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都江東区(こうとうく)西部の一地区。隅田川(すみだがわ)河口左岸に位置し、佃島(つくだじま)、晴海(はるみ)、豊洲(とよす)に相対している。古くは河口にできた州で、小さい島の形をしていた。江戸初期、榊原越中守(さかきばらえっちゅうのかみ)の別邸があったのが地名の由来と伝えられる。江戸末期、幕府が最初にフランスから軍人を招いた洋式調練発祥の地で、調練橋公園はその名残(なごり)をとどめたものである。1875年(明治8)日本最初の商船学校(のち東京商船大学。現、東京海洋大学)が置かれ、越中島の名はその代名詞として全国に知られた。また、のちに陸軍糧秣廠(りょうまつしょう)も設置された。
第二次世界大戦後、一時アメリカ軍が商船学校に駐屯したが、返還後、商船大学となり、糧秣廠は現在の防衛省、海上保安庁などの最初の庁舎として利用された。
[菊池万雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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