日本歴史地名大系 「南大工二丁目」の解説 南大工二丁目みなみだいくにちようめ 大阪府:堺市堺南大工二丁目[現在地名]堺市少林寺(しようりんじ)町東(ひがし)二―三丁舳松口之(へのまつくちの)町の東にあり、大道の東四筋目を挟む両側町で、北の南大工一丁目に続く同業者町。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「大工二町目」とあり、東頬二一筆・西頬一五筆からなり、うち二〇筆が大工を名乗り、宅地は間口二間の均等割をよくとどめている。西頬の南から三筆目に町会所、東頬には「山屋敷組大工会所」と浄専(じようせん)寺があった。同八年の堺手鑑によると当時の堺には四大工組があり、そのうちの山屋敷組(三六人)は当町居住の大工で編成されたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by