浄専寺(読み)じようせんじ

日本歴史地名大系 「浄専寺」の解説

浄専寺
じようせんじ

[現在地名]五ヶ瀬町三ヶ所

宮之原みやのはるにあり、西栄山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。元和元年(一六一五)宗源の開基で、明暦三年(一六五七)木仏・寺号を許された(延享四年「末山境内山林書上写」五ヶ瀬町史)。元禄四年(一六九一)の妙専寺由緒書(妙専寺文書)によれば、延岡妙専みようせん寺の末寺として当寺の名があげられ、「右末寺代々妙専寺旦那預ケ置申候」とある。正徳四年(一七一四)の高千穂小侍宗門改帳(工藤家文書)によれば、興呂木庄大夫とその家族一一名の旦那寺であった。明治四年(一八七一)には一時廃寺となったが、同一二年門徒の嘆願によって再興が認められた。


浄専寺
じようせんじ

[現在地名]岩室村石瀬

多宝たほう山の東麓の字藤本ふじもとにある。太田山と号し真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来。創建の時期は不明。慶長年間(一五九六―一六一五)堀川庄兵衛のときに信濃水内みのち平出ひらいで(現長野県上水内郡牟礼村)から移ってきたと伝える。初め北の字敷地しきちにあったが、文化一二年(一八一五)与板藩が石瀬に築城を計画した際、金一〇〇両を与えられて現在地に移転した。


浄専寺
じようせんじ

[現在地名]下関市大字永田郷

永田郷ながたごう南部やぶにある。浄土真宗本願寺派で金出山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、大内家家臣有光勘解由が本願寺実如に帰依十字名号と法名祐心をもらい永正九年(一五一二)に永田郷の字エビヤに一宇を建立したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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