南大貫村(読み)みなみおおぬきむら

日本歴史地名大系 「南大貫村」の解説

南大貫村
みなみおおぬきむら

[現在地名]福崎町大貫

東大貫村の南に位置し、神東じんとう郡に属する。江戸時代初期は東大貫村などとともに大貫村一村で、貞享元年(一六八四)までに分村した(→西大貫村元禄郷帳に「古ハ大貫村」と注記され、高四三二石余。天保郷帳では高六四六石余。寛延二年(一七四九)の姫路藩領一揆では当村の百姓六左衛門の下人勘三郎が死罪となっている(「寛延一揆罪科人仕置書」九州大学法学部蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 創建 寺院

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む