日本歴史地名大系 「大貫村」の解説
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
応永二八年(一四二一)の文書と伝える鹿島神宮所領日記(鹿島神宮文書)に「大貫かう三十貫」とみえ、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)には「高千七十一石六斗九升 此内四百三十四石三斗 荒 定納九拾貫文 根元賀茂之介大貫 此内五拾四貫三百文かかり」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高の茨城郡に「大貫村」とみえる。「国用秘録」には「此村漁場也田真土畠野土へ砂交り旱損場也秣場薪取場なし享保三人別千七百六十三人 享和二人別九百人家弐百九拾弐軒船廿五艘分付山三拾七町七反六畝三分 享和三亥ニ荒畠百石開ク」とある。
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
大貫村
おおぬきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報