西大貫村(読み)にしおおぬきむら

日本歴史地名大系 「西大貫村」の解説

西大貫村
にしおおぬきむら

[現在地名]福崎町大貫

亀坪新かめつぼしん村の南、大門だいもん村の東に位置し、いち川の支流平田ひらた川の上流左岸に立地する。神東じんとう郡に属し、東は東大貫村、南は南大貫村。江戸時代初期は東大貫・南大貫両村とともに大貫村と称した。慶長国絵図には大貫村とみえる。正保郷帳でも大貫村として高付され、田方一千二五二石余・畑方一三六石余、「柴山有・新田有」と注記される。「寛文朱印留」には大貫村と記されるが、貞享元年(一六八四)の本多忠国領知目録(本多家文書)には西大貫村・東大貫村・南大貫村の三村に分けて記されているので、この間に分村したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む