日本歴史地名大系 「南崎」の解説 南崎みなみざき 三重県:亀山市亀山城下南崎[現在地名]亀山市南崎町亀山城の南西にあたる。竜(たつ)川を隔てて南野(みなみの)村の東に屹立する台地上にあり、西(にし)町とともに城下台地南縁部を構成する。関氏が勧請した権現社があり、近世初期にはすでに士族屋敷地を形成、権現(ごんげん)町といった(鈴鹿郡野史)。石川氏入部の慶安四年(一六五一)に士分以上四九人、板倉氏の寛文九年(一六六九)に三六人と安正(あんしよう)寺があり(亀山地方郷土史)、享保一七年(一七三二)には徒士長屋三五軒、延享元年(一七四四)には家中屋敷三八軒が置かれていた(鈴鹿郡野史)。天明五年(一七八五)藩主石川総博は城内に藩校明倫(めいりん)舎を設け、その校舎を南崎に建設した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報