日本歴史地名大系 「亀山城下」の解説
亀山城下
かめやまじようか
- 京都府:亀岡市
- 亀山城下
天正の初め、織田信長の丹波攻略で明智光秀が進攻し、ほぼ丹波を平定してこの地を拠点とするため、天正六―七年(一五七八―七九)頃荒塚村・古世村の地に荒塚城の城地を広め築城した。
亀山の地名由来について、寛政八年(一七九六)の丹東城塁記(永光家蔵)は、
と伝える。また
亀山城下
かめやまじようか
- 三重県:亀山市
- 亀山城下
鈴鹿川北岸の台地上に、北は
天正一八年(一五九〇)岡本宗憲が若山にあった亀山旧城の東南の地を画し、その地にあった
その後亀山城主および藩領は、慶長一五年、松平(奥平)忠明(五万石)、元和元年(一六一五)四日市代官(水谷光勝)預地と津藩領、同五年、三宅康信(一万石、のち二千石加増)と受継がれていくが、この間、城の鎮守であった
本多俊次は亀山入城の翌一四年七月二二日、領民に対して詳細な条目を発し、一一月二〇日には検地に関する条目(「九九五集」所収)を追加発令して領内諸村の内検地を行った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報