南新町一丁目(読み)みなみしんまちいつちようめ

日本歴史地名大系 「南新町一丁目」の解説

南新町一丁目
みなみしんまちいつちようめ

[現在地名]東区南新町一丁目

北新きたしん町一丁目の南にあり、たに町三丁目から西に延びる両側町。伊勢神戸藩蔵屋敷があった(天保六年大坂袖鑑)。山城伏見ふしみから移った町で(初発言上候帳面写)、「天保町鑑」によれば南新町一―三丁目あるいは南新町通は御小人おこびと町と通称されており、「難波鶴」にも同町名がみえるので、これが南新町の古名であったと推定される。のちにはとくに南新町二丁目異名(摂陽見聞筆拍子)となったらしい。南新町一丁目は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一九・役数二五役で、うち年寄分一役が無役。年寄は河内屋吉左衛門。安政三年(一八五六)の水帳(大阪大学蔵)では屋敷数二〇・役数二五役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む