行司(読み)ぎょうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

行司
ぎょうじ

相撲力士を立ち合わせ,勝敗を見定めて軍配を上げ,勝名のりを授ける人。また土俵祭りなどの式典を主宰するほか,番付を書いたり呼び出しとともに興行に関する雑務にあたる。古くは木村,式守のほか岩井,一式,服部,吉岡など四十数家に上る家柄があったが,江戸時代末期までに整理統合され,木村,式守の2家のみとなった。最高位木村庄之助,次位が式守伊之助で,この2人を立行司 (たてぎょうじ) という。行司の格は軍配の房の色で区別され,木村庄之助が総紫,式守伊之助が紫白,三役 (さんやく) 格が赤,幕内格が紅白,十両格が青白,幕下以下が青か黒で,この房の色は烏帽子 (えぼし) の顎紐,直垂 (ひたたれ) の菊綴,胸紐,袖・袴のくり紐などすべて同色である。また十両格以上は土俵場で足袋を,さらに三役格以上は草履を許される。現在定員は 45人。

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知恵蔵の解説

行司

行司は土俵上の勝負判定役で、立行司の木村庄之助、式守伊之助を頂点に力士同様に番付がある。土俵上の裁きのほか、番付の作成や巡業の事務などをこなす。各部屋に所属し、後援会関係の業務なども担当。呼出にも力士同様の番付があり、最高位は立呼出。力士の呼び上げ、土俵作りと、場所の進行を告げる柝(き)や太鼓を担当。行司同様、各部屋に所属、部屋の仕事もこなしている。

(根岸敦生 朝日新聞記者 / 2007年)

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デジタル大辞泉の解説

ぎょう‐じ〔ギヤウ‐〕【行司】

相撲で、力士を立ち合わせ、勝負を判定する役。また、その人。
行事4」に同じ。
[補説]行司1の階級と軍配の房・菊綴じの色
階級
立行司 木村庄之助総紫
立行司 式守伊之助紫白
三役格
幕内格紅白
十両格青白
幕下格青または黒
三段目格青または黒
序二段格青または黒
序の口格青または黒

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百科事典マイペディアの解説

行司【ぎょうじ】

相撲の勝負判定役。土俵上で力士を立ち合わせ,勝負を見定めて勝方に軍配団扇(うちわ)をかざし,勝負検査役から異議の申立て(ものいい)がなければ勝ち名のりをあげる。平安時代の〈相撲節会(すまいのせちえ)〉には勝負を裁定する中立の行司はなく,織田信長のころ初めて勝負を判定する〈行事〉(=〈行司〉のはじまり)の役ができて,相撲の催しを監督する奉行役を務めた。江戸中期の勧進相撲の隆盛とともに勝負判定のための行司が専門職として成立,分派をつくって権威を争った。現在木村,式守両家があり,軍配団扇の房の色により階級が分けられる。最高位(横綱格)は総紫,次位(大関格)は紫白で,前者は木村庄之助,後者は式守伊之助に限られ,両者を立行司(たてぎょうじ)という。
→関連項目手数入

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょうじ【行司】

職業相撲で軍配うちわを持ち,東西の力士を立ち合わせ,勝負の判定をし,勝力士に軍配をあげ勝ち名のりをさずける役目。平安時代の宮中儀式〈相撲節会(すまいのせちえ)〉には勝負を裁定する中立の行司役はなく,〈立合(たちあわせ)〉という進行係が,左近衛,右近衛から2人ずつ出場しただけである(後世江戸時代の相撲伝書に行司開祖を平安時代におくのは誤り)。鎌倉時代吾妻鏡》に見える相撲奉行も武将がつとめ,相撲大会の監督で行司役はいなかった。

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大辞林 第三版の解説

ぎょうじ【行司】

相撲で、土俵上の取組を管理し、勝敗を判定する役。また、その人。
行事」に同じ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

行司
ぎょうじ

力士の公平な立合いを指導し、勝敗の裁定にあたり勝ち力士に軍配をあげ、勝ち名のりを授ける役目。職業相撲(ずもう)では烏帽子直垂(えぼしひたたれ)装束に軍配団扇(うちわ)を所持する。
 平安時代の重要な宮中儀式である「相撲節会(すまいのせちえ)」には行司役はなく「立合(たちあわせ)」という進行係が左右から2人ずつ付き添っただけである。織田信長が1570年(元亀1)相撲大会を催したとき、初めて行司役らしき立合人が出て、当初「行事(ぎょうじ)」と書いた。のち江戸時代に勧進相撲が盛んになり、幕府の相撲禁止令の原因となる争乱を除くため、各地の相撲集団(職業相撲)に相撲作法(規則)と相撲技を伝える各流派の行司家が生まれた。
 江戸相撲が相撲界の中心になって全国的な組織制度をつくった天明(てんめい)年間(1781~89)には、江戸と京都・大坂の数家になった。このころ熊本の吉田追風(おいかぜ)は大藩細川家を後ろ盾に、相撲家元として江戸相撲を支配、京坂相撲は古くから京都の相撲の御家五条家の傘下にあり、それぞれ行司は家元の故実免許を得て作法を伝えた。京坂行司は1925年(大正14)に絶え、江戸時代から続く東京行司家の木村、式守の2家が繁栄して現在に及んでいる。
 行司にも力士と同じように階級があり、最高位は木村庄之助(しょうのすけ)、次位は式守伊之助で、ともに立(たて)行司といい大関格で、大関・横綱の取組みを裁く。階級は、軍配の房(ふさ)と衣装の「菊とじ」という紐(ひも)の色により区別される。庄之助は紫房、伊之助は紫白(紫に白まじり)、三役格は紅、幕内格は紅白、十両格は青白、幕下格以下は青か黒を用いる。三役行司以上は足袋(たび)に草履(ぞうり)を履き、立行司は腰に短刀を帯びる。十両格と幕内格は足袋を履けるが、幕下以下の格は素足で土俵にあがる。年功序列が行司番付編成の原則であったが、1972年(昭和47)から、土俵判定の良否、声量の良否、日常の勤務状況などによって抜擢(ばってき)されることになった。行司定員は45名以内、十両格以上は20名以内と定められている。[池田雅雄]

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世界大百科事典内の行司の言及

【軍配】より

…兵法の大事として重視されるようになったのは室町の末期からで,武将の間で部下の指揮をするのに団扇を使うことが流行し,軍陣用のため羽の部分を皮で作り漆を塗り,柄は鉄を入れたものができて,その表面に日月星辰(せいしん)などを箔(はく)置きとして,軍配日取りの記号とすることが多くなって,軍配団扇の名でよばれるようになり,ついに軍配といえばこれをさすのが常となった。江戸時代にはいってから兵学の流行とともに形式化し,円形の羽は中くぼみとなり,表面中央の円周に月と十二支,外部に天の二十八宿,円内に金剛界大日の梵字,裏に胎蔵界大日の梵字を表したりしたが,18世紀以来,兵学の沈滞とともにしだいに衰え,相撲の行司の所用や端午の飾りにそのおもかげを残すにすぎなくなった。【鈴木 敬三】
[相撲の軍配]
 行司が土俵上で,両力士の呼吸を合わせて,公平に立ち合うことを指図するとともに,勝敗の裁決を下す要具。…

※「行司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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