相撲に行司役ができたのは、室町時代である。江戸時代中期、勧進相撲の隆盛により、相撲が職業化するに伴い、行司も専門職とする者が出て、それぞれ流派を作り、四十あまりの行司家ができた。なかでも、熊本細川家の家臣の吉田家は、横綱の任免などをつかさどり、特に権威があったが、現在は形式だけの存在となり、江戸の木村、式守の二家が存続している。
職業相撲で軍配うちわを持ち,東西の力士を立ち合わせ,勝負の判定をし,勝力士に軍配をあげ勝ち名のりをさずける役目。平安時代の宮中儀式〈相撲節会(すまいのせちえ)〉には勝負を裁定する中立の行司役はなく,〈立合(たちあわせ)〉という進行係が,左近衛,右近衛から2人ずつ出場しただけである(後世江戸時代の相撲伝書に行司開祖を平安時代におくのは誤り)。鎌倉時代《吾妻鏡》に見える相撲奉行も武将がつとめ,相撲大会の監督で行司役はいなかった。次いで織田信長のころになると,勝負を判定する〈行事〉の役ができて,《信長公記》に〈行事者,木瀬蔵春庵,木瀬太郎太夫両人也〉とある。初めは〈行事〉と書いたが,これが行司役の始まりであり,相撲の催しを監督する奉行役でもあった。江戸勧進相撲が隆盛になった中期ごろ勝負判定の行司の専門職が成立。全国各地に職業相撲集団が発生するのに伴い,行司家もそれぞれの流派をつくり,1706年(宝永3)には四十数家もあった。彼らは幕府の相撲禁止令の原因となる喧嘩争乱を除くため,各地の相撲集団に相撲作法(規則)と故実を伝える役目をもち権威があった。享保時代(1716-36),九州熊本細川家家臣吉田追風が相撲の家元として勢力をもち,1791年(寛政3)の徳川家斉上覧相撲を機に,江戸の相撲集団を支配下において故実門人と横綱の免許を与えて権威づけ,幕末には大坂相撲を支配して全国を傘下においた。しかし第2次世界大戦後は形式だけの存在となっている。江戸の木村庄之助,式守伊之助の2家は現在も存続しているが,京坂の流派は消滅した。
行司の装束は,江戸時代より上下(かみしも),袴(はかま)の姿であったが,両国国技館開館の翌年1910年夏場所から,烏帽子(えぼし),直垂(ひたたれ)に改められた。行司の階級は軍配の房の色と衣装の菊綴(きくとじ)(胸と袴についている飾房)の色で見分ける。紫房の庄之助が横綱格,紫白房(紫に白糸を混ぜる)の伊之助が大関格で,2人を立(たて)行司という。この両家が最高位置におかれ,短刀,足袋,草履着用。朱房は三役格行司で足袋,草履着用。紅白房は幕内格行司,青白房は十両格行司で,ともに足袋着用。青房か黒房は幕下格以下序ノ口格までの行司で,いずれも素足である。木村家,式守家の違いは,力士呼上げのとき,木村は軍配を握ったこぶしを上に向け(陰という),式守は握ったこぶしを下に(陽という)する。
→軍配 →相撲
執筆者:池田 雅雄
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力士の公平な立合いを指導し、勝敗の裁定にあたり勝ち力士に軍配をあげ、勝ち名のりを授ける役目。職業相撲(ずもう)では烏帽子直垂(えぼしひたたれ)装束に軍配団扇(うちわ)を所持する。
平安時代の重要な宮中儀式である「相撲節会(すまいのせちえ)」には行司役はなく「立合(たちあわせ)」という進行係が左右から2人ずつ付き添っただけである。織田信長が1570年(元亀1)相撲大会を催したとき、初めて行司役らしき立合人が出て、当初「行事(ぎょうじ)」と書いた。のち江戸時代に勧進相撲が盛んになり、幕府の相撲禁止令の原因となる争乱を除くため、各地の相撲集団(職業相撲)に相撲作法(規則)と相撲技を伝える各流派の行司家が生まれた。
江戸相撲が相撲界の中心になって全国的な組織制度をつくった天明(てんめい)年間(1781~89)には、江戸と京都・大坂の数家になった。このころ熊本の吉田追風(おいかぜ)は大藩細川家を後ろ盾に、相撲家元として江戸相撲を支配、京坂相撲は古くから京都の相撲の御家五条家の傘下にあり、それぞれ行司は家元の故実免許を得て作法を伝えた。京坂行司は1925年(大正14)に絶え、江戸時代から続く東京行司家の木村、式守の2家が繁栄して現在に及んでいる。
行司にも力士と同じように階級があり、最高位は木村庄之助(しょうのすけ)、次位は式守伊之助で、ともに立(たて)行司といい大関格で、大関・横綱の取組みを裁く。階級は、軍配の房(ふさ)と衣装の「菊とじ」という紐(ひも)の色により区別される。庄之助は紫房、伊之助は紫白(紫に白まじり)、三役格は紅、幕内格は紅白、十両格は青白、幕下格以下は青か黒を用いる。三役行司以上は足袋(たび)に草履(ぞうり)を履き、立行司は腰に短刀を帯びる。十両格と幕内格は足袋を履けるが、幕下以下の格は素足で土俵にあがる。年功序列が行司番付編成の原則であったが、1972年(昭和47)から、土俵判定の良否、声量の良否、日常の勤務状況などによって抜擢(ばってき)されることになった。行司定員は45名以内、十両格以上は20名以内と定められている。
[池田雅雄]
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(根岸敦生 朝日新聞記者 / 2007年)
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…兵法の大事として重視されるようになったのは室町の末期からで,武将の間で部下の指揮をするのに団扇を使うことが流行し,軍陣用のため羽の部分を皮で作り漆を塗り,柄は鉄を入れたものができて,その表面に日月星辰(せいしん)などを箔(はく)置きとして,軍配日取りの記号とすることが多くなって,軍配団扇の名でよばれるようになり,ついに軍配といえばこれをさすのが常となった。江戸時代にはいってから兵学の流行とともに形式化し,円形の羽は中くぼみとなり,表面中央の円周に月と十二支,外部に天の二十八宿,円内に金剛界大日の梵字,裏に胎蔵界大日の梵字を表したりしたが,18世紀以来,兵学の沈滞とともにしだいに衰え,相撲の行司の所用や端午の飾りにそのおもかげを残すにすぎなくなった。【鈴木 敬三】
[相撲の軍配]
行司が土俵上で,両力士の呼吸を合わせて,公平に立ち合うことを指図するとともに,勝敗の裁決を下す要具。…
※「行司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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