南林崎村(読み)みなみはやざきむら

日本歴史地名大系 「南林崎村」の解説

南林崎村
みなみはやざきむら

[現在地名]鈴鹿市南林崎町

西林崎村の南東部に接する。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳には「五百四拾壱石七斗八升 南林崎之郷」とある。中世までは西林崎も、南林崎も含めて林崎と称していたと思われる。「吾妻鏡」や「神鳳鈔」にみえる「林崎御厨」はこの地をも一括してよんでいたと思われる。慶長一一年(一六〇六)以降旗本保田氏領で、保田家断絶ののち享保一一年(一七二六)以降は有馬氏領となる。保田氏と同じく有馬氏も当初西条にしじよう村に陣屋を置いていたが、その知行一万石のうち伊勢七千七〇三石は当村の棚瀬代官に支配させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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