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三河国 みかわのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三河国
みかわのくに

現在の愛知県東部。東海道の一国。上国。三川,参河とも書かれた。『旧事本紀』には穂 (ほ) ,三河の2国造がみえるが,前者はのちの宝飫 (ほお) 郡を中心とした東部地方,後者は西部地方を占めたものとみられる。国府は豊川市国府町。国分寺は豊川市八幡町。『延喜式』神名帳には 26座 (25社) の宮社が記され,砥鹿 (とが) 神社がのち当国の一宮となった。『延喜式』には碧海,賀茂,額田 (ぬかた) など8郡,『和名抄』には郷 70,田 6820町を載せている。鎌倉時代には源頼朝が弟の範頼を三河守,守護には安達盛長を任じ,のち足利氏が代々守護を相伝したとみられる。幡豆 (はず) 郡吉良荘はもと九条家領足利義氏が地頭に補せられ,以後吉良氏の根拠地となり後世まで勢力をもった。幡豆郡には饗庭 (あえば) の神宮御厨 (みくりや) などがあった。室町時代には高,仁木,一色,細川の諸氏が守護となったが,15世紀頃から賀茂郡に松平氏が現れた。 16世紀に入ると岡崎に松平清康 (徳川家康の祖父) がおり,戦国時代には足利氏の後裔今川氏が駿河,遠江からさらに当国にも勢力を伸ばしたが,永禄3 (1560) 年の桶狭間の戦いで今川義元織田信長に討たれて滅び,のち松平広忠の子家康が徳川氏を称して次第に勢力を伸ばし当国を領有した。豊臣秀吉のとき家康は関東に移り,一時田中吉政池田輝政が入国したが,江戸時代には徳川氏発祥の地として岡崎には本多氏,吉田 (豊橋) に松平氏,西尾に松平氏,刈屋に土井氏,挙母 (ころも) に内藤氏など親藩,譜代の大名が封じられた。明治4 (1871) 年の廃藩置県後,各藩は県となり,一時額田県に統合されたが,翌5年に愛知県に併合された。

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デジタル大辞泉の解説

みかわ‐の‐くに〔みかは‐〕【三河国】

三河

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百科事典マイペディアの解説

三河国【みかわのくに】

旧国名。三州とも。東海道の一国。現在の愛知県東半部。《延喜式》に上国,8郡。国府は豊川市。中世の守護は安達,足利氏らののち仁木(にっき),一色,細川らの諸氏。次いで駿河から今川氏が進出。
→関連項目愛知[県]加茂一揆中部地方

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

みかわのくに【三河国】

現在の愛知県東部を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で東海道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からは近国(きんごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の豊川市におかれていた。平安時代伊勢神宮との関係が深く、同神宮に貢進(こうしん)する神戸(かんべ)、御厨(みくりや)、御園(みその)などの所領が多くおかれた。鎌倉時代守護は安達(あだち)氏、足利(あしかが)氏吉良(きら)氏で、南北朝時代から室町時代には高(こう)氏、仁木氏、一色(いっしき)氏細川氏など足利一族が務めた。戦国時代には徳川氏の祖松平氏が近隣の土豪を制して有力となったが、今川氏織田氏の東西からの進出に苦しんだ。1560年(永禄(えいろく)3)の桶狭間(おけはざま)の戦い後、三河一向一揆(いっこういっき)を制圧した徳川家康(とくがわいえやす)が領国支配に成功。江戸時代には譜代(ふだい)藩が多くおかれ、幕府直轄領、旗本領もあった。1871年(明治4)の廃藩置県により額田(ぬかた)県に属したが、翌年に額田県は愛知県に併合された。◇三州(さんしゅう)ともいう。また参河(みかわ)国、参州(さんしゅう)とも書く。

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世界大百科事典 第2版の解説

みかわのくに【三河国】

旧国名。参河とも書く。三(参)州。現在の愛知県東部。
【古代】
 東海道に属する上国(《延喜式》)。大化以前,東三河に穂国(ほのくに)があり,穂国造の本拠は宝飯(ほい)郡にあった。郡名は穂国に由来する宝飫(ほお)の転化したものである。西三河は三河国造の統治下にあり,その本拠は二子古墳を中心に古墳群を形成する現在の安城市桜井町地域であろう。大化改新以降,三河・穂両国造の領域を合わせて三河国を建て,国府を穂国の内,現豊川市国府町に置き,音羽川下流の御津(みと)(現,宝飯郡御津町)の地がその外港とされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三河国
みかわのくに

国郡制の時期に愛知県東部に設定された国名。参州(さんしゅう)。東海道15か国の一つ。東は遠江(とおとうみ)国(静岡県)、北は信濃(しなの)(長野県)・美濃(みの)(岐阜県)の両国、西の北半は尾張(おわり)国(愛知県)に接している。当国は北部山岳地帯としての奥三河、その地帯より源を発し、東部、西部をそれぞれ貫流する豊川(とよがわ)流域平野の東三河と矢作(やはぎ)川流域平野の西三河、さらに遠州灘(えんしゅうなだ)と伊勢(いせ)湾を東西に画し、志摩半島の志摩国(三重県)と相対する渥美(あつみ)半島の4地域に分かつことができる。4地域とも風土的・歴史的地域差をもつが、方言に端的に示されるように総体としては尾張とはかなり異なる東国的な文化圏を発展させてきた。
 三河の語源については、三つの川があったからとか、加茂(かも)の神の御川(みかわ)の義であるとかの説はあるが、通説というべきものはない。先史時代の歴史を物語る資料としては、まず豊橋市牛川(うしかわ)町で発見された成人女性の左上腕骨と成人男性の大腿(だいたい)骨片の化石人骨がある。牛川人と名づけられた人骨はいずれも約10万年前の中期洪積世の旧人と鑑定され、いまも論争の続いている明石(あかし)原人を別とすれば、日本最古の人類である。縄文時代の遺跡としては大量の人骨が発掘された吉胡(よしご)貝塚が、また弥生(やよい)時代では豊川河口近くの豊橋市瓜郷(うりごう)遺跡などがあり、豊川(とよかわ)市篠束(しのづか)町の篠束遺跡は三河以東での最初の農村遺跡として名高い。
 9世紀ごろに編纂(へんさん)された『国造本紀(こくぞうほんぎ)』によれば、三河は古く三河と穂(ほ)の二つのクニに分かれ、それぞれ三河国造(くにのみやつこ)、穂国造が支配していたが、豊川市国府(こう)町所在の全長96メートルの船山古墳に象徴されるように、東三河の豪族の力が強大となり、国衙(こくが)は穂のクニに置かれることとなった。令(りょう)制では上国、『延喜式(えんぎしき)』では近国に位置づけられ、加茂、額田(ぬかだ)、碧海(あおみ)、幡豆(はず)、宝飫(ほお)、八名(やな)、渥美の7郡に分ける。このうち903年(延喜3)宝飫の北部を割いて設楽(したら)郡を設置した。国府および国分寺はともに豊川市内にあった。平安時代には伊勢神宮との関係深く、1192年(建久3)には12か所に神戸(かんべ)、御厨(みくりや)、御園(みその)があった。鎌倉期には公武両勢力の接点となる。守護の初見は安達盛長(あだちもりなが)。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後は足利(あしかが)氏の世襲となり、斯波(しば)、一色(いっしき)、細川、仁木(にき)、今川氏などその一族被官(ひかん)の本拠となった。彼らは南北朝時代の内乱に戦功をたて、管領(かんれい)や侍所頭人(さむらいどころとうにん)など室町幕府の要職につく。室町期の守護は仁木義長(よしなが)が初代、大島義高(よしたか)、一色範光(のりみつ)、一色詮範(あきのり)、細川持常(もちつね)、同成之(しげゆき)、一色義直(よしなお)と受け継がれて戦国時代を迎える。
 15世紀中葉から、加茂郡松平村より出た松平氏が台頭し、3代信光は碧海郡安祥(あんじょう)城、松平氏7代清康(きよやす)は岡崎城を拠点として西三河に勢力を広めた。松平氏8代広忠(ひろただ)の時期、三河は東西から今川、織田両氏の侵入にあい、広忠は今川義元(よしもと)と盟約しながら岡崎城1城を保つにすぎなかったが、その子徳川家康は、今川義元が桶狭間(おけはざま)合戦に敗死後、織田信長と同盟を結んで東進し、1590年(天正18)関東に転封する。関ヶ原役後、家康は松平家清を吉田(豊橋)、本多康重(やすしげ)を岡崎、本多康俊を西尾に置くなど8家の譜代(ふだい)大名を創設したほか、多くの旗本領、直轄領を設定した。細分割支配の特色は江戸時代を通じて受け継がれ、三河の開発に大きな影響を与えた。維新時の幕府直轄領は三河県となったが、伊奈(いな)県に合併、また10藩あった藩領域は額田県となり、1872年(明治5)に両地域とも愛知県に編入された。
 三河地方は古代から良質のあしぎぬの産地として知られていたが、早くも16世紀からは木綿が栽培される。近世では所領関係が複雑なため、水田開発は比較的後れたが、「三河木綿」の名があるように木綿の名産地であった。[所理喜夫]

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世界大百科事典内の三河国の言及

【愛知[県]】より

…東西約106km,南北約94kmで,知多・渥美両半島の突出によりカニの甲羅状を呈する。
[沿革]
 明治以前,愛知県は境川より東の三河国と西の尾張国からなっていた。近世には尾張国には親藩の尾張藩(名古屋藩)が置かれたが,三河国には吉田藩(1869年豊橋藩と改称),岡崎藩田原藩など譜代諸藩と天領,旗本領が散在した。…

※「三河国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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