日本歴史地名大系 「南王子村」の解説
南王子村
みなみおうじむら
王子村の南に位置し、熊野街道(小栗街道)が通る。古代条里制の遺称とみられる四ノ坪―十ノ坪、十五ノ坪―十八ノ坪などの小字名がある。初め王子村と称していたが、貞享三年(一六八六)に隣村の王子村とともに武蔵岩槻藩領となったとき、同じ領内に同一の村名が隣接していては紛らわしいということで、南に位置したところから村名の肩に「南」と小書きするよう申渡され、ここに初めて南王子村の村名が生れた。また屋敷地も初めは境を接する王子村内にあったが(古屋敷地)、元禄七年(一六九四)火災にあったのと、
村高は古検高一四六石余(反別一一町七反余)で、元禄九年まで同高。もっとも慶長九年(一六〇四)の指出帳(東京大学史料編纂所蔵)によると、すでに王子村内で五九石余の出作地を所有している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報