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熊野街道 くまのかいどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

熊野街道
くまのかいどう

京都から熊野三山への参詣路の総称。紀伊路,伊勢路,高野路などがあったが,紀伊路がその代表で上皇などはすべて紀伊路を通った。紀伊路の中世までの道筋は熊野御幸道,あるいは熊野古道と呼ばれ,沿道に熊野九十九王子社がまつられていた。

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デジタル大辞泉の解説

くまの‐かいどう〔‐カイダウ〕【熊野街道】

熊野三社に至る交通路。東の伊勢からと西の紀伊からの二つがあった。

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百科事典マイペディアの解説

熊野街道【くまのかいどう】

紀伊熊野三山への参詣路。京・西国からの紀路(きじ)と,東国からの伊勢路があった。紀路は淀川河口から四天王寺門前を通って南下,紀伊田辺からは富田川沿いに山道をたどって本宮に至る中辺路(なかへち)と,海岸沿いに那智・新宮に至る大辺路(おおへち)があった。
→関連項目田丸天王寺

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世界大百科事典 第2版の解説

くまのかいどう【熊野街道】

京都から紀伊国牟婁郡の熊野三山に参詣する道。摂津の渡辺から天王寺・住吉を経て泉州を南下し,雄ノ山峠で紀州に入り,矢田峠・藤代峠・蕪坂・鹿瀬山を越えて日高に至り,切目・岩代・南部の海岸伝いに田辺に着き,そこから山中に入って富田川の谷を北上,滝尻・逢坂・近露・道湯川と山道をたどり,発心門から熊野川河畔の本宮に通じていた。その沿道のいたるところに熊野権現の分身とされる王子社が配列され,俗に〈九十九王子〉といわれた。

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大辞林 第三版の解説

くまのかいどう【熊野街道】

京都から熊野三山へ至る街道。紀伊路と伊勢路とがあり、紀伊路は紀伊半島の海岸沿いの道を通り、田辺から内陸にはいって本宮ほんぐうに達する道などがあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

熊野街道
くまのかいどう

和歌山県南部の熊野三山への参詣(さんけい)路。紀伊山地をたどる遠隔参詣路で、苦行によって極楽(ごくらく)往生を祈願する熊野信仰に始まることが『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』などにうかがわれる。その道筋はさまざまで、初めは修験(しゅげん)の抖(とそう)によって開かれ、しだいに固定化したかと思われる。ときには一部海路が併用されることもあった。記録では『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の宇多(うだ)法皇の参詣(907)が最古で、以後約350年間に上皇の参詣が7代約百度を数える。1201年(建仁1)後鳥羽(ごとば)上皇に同行した藤原定家の『明月記(めいげつき)』には全行程が記されている。その道筋は、京から難波(なにわ)を経て海岸沿いに田辺(たなべ)へ、田辺から山間を本宮に至っている。これが紀伊路で、熊野御幸道(みゆきみち)、熊野古道(こどう)ともいい、途中遙拝(ようはい)休憩のための九十九王子社が設けられていた。紀伊路は田辺から山間をたどる中辺路(なかへち)と、さらに海岸を伝う大辺路(おおへち)に分かれるが、中辺路がその後の庶民の参詣でも通行が多く、時代による盛衰はあるが、西国巡礼の道筋にもなり「蟻(あり)の熊野詣(もう)で」といわれるほどであった。熊野街道は、ほかにも、伊勢(いせ)を回る伊勢路、十津川(とつかわ)路、北山(きたやま)路、高野山(こうやさん)を経る高野路、大峰(おおみね)山中をたどる修験の峰入(みねいり)路などがある。これら参詣道は、2004年(平成16)「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。[小池洋一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の熊野街道の言及

【街道】より

…途中の今庄から分かれて,敦賀,小浜,宮津を経て但馬の豊岡で山陰道に合する街道もある。
【近畿地方】
近畿に入ると,東海道の四日市または亀山から津,松坂を経て宇治山田に行く伊勢路が神宮参拝者でにぎわったが,さらに南下して尾鷲を通り,新宮,那智,本宮の熊野三社への熊野街道はさらに田辺,和歌山に達する。この間はすべて紀州藩領で,伝馬所が設けられていた。…

【田辺[市]】より

…古く〈牟婁津(むろのつ)〉(《日本書紀》),〈紀の国の室(むろ)の江〉(《万葉集》巻十三)と記される港は,当市の海岸部と考えられる。また熊野三山への参詣道(熊野街道)が,山間を抜ける中辺路(なかへじ)と海岸に沿う大辺路(おおへじ)とに分岐する交通の要地であった。 平安~鎌倉期には左会津川流域に摂関家領三栖(みす)荘,右会津川の中・上流域に醍醐寺一乗院領秋津荘,そして市域西端を流れる芳養(はや)川流域には石清水(いわしみず)八幡宮領芳養荘が成立。…

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