南高洲村(読み)みなみたかすむら

日本歴史地名大系 「南高洲村」の解説

南高洲村
みなみたかすむら

[現在地名]鹿屋市高須町たかすちよう

高須川河口部に位置し、東は大姶良おおあいら野里のざと村・横山よこやま村、南は同郷浜田はまだ村。古くから大隅半島西岸における海上交通の要地として栄えた高須浦があった。鷹栖・高州・高洲などと記され、高須川北岸の北高洲村も含め、一村で高付されることも多い。鹿屋郷に属し、その飛地をなす。海岸線に沿って南北佐多さた筋が通る。観応二年(一三五一)八月七日の畠山直顕感状(禰寝文書)、同年八月日の禰寝清増軍忠状(同文書)同日の禰寝清種軍忠状(池端文書)などに「鷹栖」「鷹栖城」とみえ、同年三月以来楡井頼仲与党と畠山直顕方の禰寝一族などの間で大姶良城、加瀬田かせだ(現輝北町)高隈たかくま城・鷹栖城などをめぐる合戦があった。七月二五日夜に頼仲党により大姶良城が落城したため、禰寝氏が馳向かったところ、肥後次郎左衛門入道や薩州南朝方石堂入道以下が鷹栖に城を取り、以後連日の合戦となった。八月四日大姶良城攻略後、再び鷹栖城で合戦となり、禰寝氏が攻め落している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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