禰寝氏(読み)ねじめうじ

改訂新版 世界大百科事典 「禰寝氏」の意味・わかりやすい解説

禰寝氏 (ねじめうじ)

平安時代以来の大隅国(鹿児島県)の豪族建部姓。正八幡宮領禰寝院南俣(肝属郡南大隅町の旧根占町)を本拠とする。鎌倉時代には幕府御家人となり,初代清重地頭・郡司職を兼ね以後世襲した。系図では平氏の子孫を称する。同族田代佐多氏があり,鎌倉時代末から南北朝時代にかけて一族が繁衍はんえん)した。支族に西本,池端,角氏等があり,彼らは連合して行動をとった。島津荘禰寝院北俣(肝属郡錦江町の旧大根占町)をも併領。7代清成,8代清有,9代久清らは武家方の畠山直顕,島津貞久らに属し勢力を拡大,肝付兼重,楡井頼仲・頼重ら南党に対抗して大隅,日向,薩摩の各地に転戦した。九州探題今川了俊も大隅国守護島津氏久の強勢を抑えるため禰寝氏の勢力に期待を寄せている。室町時代,10代清平は島津久豊に服属し,1417年(応永24)薩摩国川辺で伊集院頼久らと戦い討死した。戦国時代,16代重長ははじめ肝付,伊東氏と結んで島津氏に抗したが,のち島津氏と和解して逆に両氏と争った。また彼は琉球,中国との交易にも熱意を示した。17代重張のとき,1595年(文禄4)薩摩吉利郷(日置市の旧日吉町)に移封。私領主として島津氏重臣の一人となり,のち小松氏と改称した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「禰寝氏」の意味・わかりやすい解説

禰寝氏
ねじめうじ

南九州の武家。大隅国(おおすみのくに)(鹿児島県)禰寝院富田城(とみたじょう)を本城とし戦国時代まで大隅半島南部を所領とした。1203年(建仁3)に鎌倉幕府によって禰寝院南俣(みなみまた)すなわち小禰寝院(現南大隅町、錦江(きんこう)町)の地頭(じとう)に任命された清重(きよしげ)に始まる。出自については平姓(へいせい)説、藤原姓説があるが、郡司建部(たてべ)姓系である。勢力を拡大し禰寝院北俣(きたまた)(現錦江町、鹿屋(かのや)市大姶良(おおあいら)など)を領有したが、1573年(天正1)戦国大名島津氏に降(くだ)った。1595年(文禄4)薩摩国(さつまのくに)吉利(よしとし)(日吉(ひよし)町)へ召し移された。相伝された文書のおもなものは『禰寝文書』として刊行されている。

[三木 靖]


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世界大百科事典(旧版)内の禰寝氏の言及

【佐多氏】より

…平安時代以来大隅国禰寝院(ねじめいん)南俣(現在の鹿児島県肝属郡根占,佐多,田代町)を本拠とする豪族。(1)禰寝氏(建部姓)の一族。所領佐多の名を負う。…

※「禰寝氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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