日本歴史地名大系 「南高瀬村」の解説 南高瀬村みなみたかせむら 大分県:日田市南高瀬村[現在地名]日田市高瀬北高瀬村の南方に位置し、高瀬川が北流する。永正期(一五〇四―二一)筑後国矢部(やべ)(現福岡県矢部村)の五条鑑量は大友氏の進出に備えて櫛(くし)川(串川)上流に築城したとされ、地内の地名五条殿(ごじゆうどん)はその跡地という(豊後国志)。近世初頭には北高瀬村・西高瀬村と合せ高瀬村または東高瀬村として扱われることが多く、慶長六年(一六〇一)の予州替地御知行所目録(佐伯藩政史料)などや正保郷帳などでは高瀬村の内。元禄見稲簿に村名がみえ、高二七八石余。享保八年(一七二三)の日田郡毛付高帳(千原家文書)では毛付高二八五石余、新田畑一〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by