日本歴史地名大系 「厚真村」の解説 厚真村あつまむら 北海道:胆振支庁厚真町厚真村[現在地名]勇払(ゆうふつ)郡厚真町本町(ほんちよう)・表町(おもてまち)・京町(きようまち)・錦町(にしきまち)・新町(しんまち)・字幌内(ほろない)・字富里(とみさと)・字高丘(たかおか)・字吉野(よしの)・字桜丘(さくらおか)・字朝日(あさひ)・字幌里(ほろさと)・字本郷(ほんごう)・字東和(とうわ)・字宇隆(うりゆう)・字美里(みさと)・字上野(うえの)・字豊沢(とよさわ)・字富野(とみの)・字厚和(こうわ)・字鯉沼(こいぬま)・字豊丘(とよおか)・字軽舞(かるまい)・字鹿沼(しかぬま)・字豊川(とよかわ)・字共栄(きようえい)・字上厚真(かみあつま)・字共和(きようわ)・字浜厚真(はまあつま)・字清住(きよずみ)明治初年(同二年八月から同六年の間)から昭和三四年(一九五九)一二月までの村。勇払郡の東部に位置し、東は鵡川(むかわ)村(現鵡川町)など、西は勇払村、北は石狩国夕張郡の山林に接し、南は太平洋に臨む。村内西寄りを厚真川が南流する。近世はアツマ・上(かみ)アツマとよばれた。明治六年(一八七三)六月の「胆振国地誌提要」(原稿)にアイヌ一五戸・六八人(男三二・女三六)の厚真フト村、アイヌ八戸・三四人(男一七・女一七)の「シユフン村」、アイヌ六戸・三二人(男一四・女一八)のツケヘ村(テケヘ村ともみえる)が記され、同年八月この三村を統合して厚真村とすることを決定(「勇払往復」道立文書館蔵簿書)。なお前掲地誌提要にはアイヌ一一戸・四〇人(男一八・女二二)のトニカ村がみえ、前掲勇払往復では「トラカ村」、明治六年一二月の札幌本庁による町村調査では「富似河村」と記される(「事業報告」第一編)。富似河(とにか)村は同七年の「地誌提要」(本編)にも村名がみえる。同九年の北海道大小区画制定時には富似河村はみえず、これ以前に厚真村に合併したとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by