日本歴史地名大系 「胆振支庁」の解説 胆振支庁いぶりしちよう 面積:三六九七・四八平方キロ室蘭(むろらん)市・苫小牧(とまこまい)市・登別(のぼりべつ)市・伊達(だて)市、虻田(あぶた)郡豊浦(とようら)町・虻田(あぶた)町・洞爺(とうや)村、有珠(うす)郡壮瞥(そうべつ)町・大滝(おおたき)村、白老(しらおい)郡白老(しらおい)町、勇払(ゆうふつ)郡早来(はやきた)町・追分(おいわけ)町・厚真(あつま)町・鵡川(むかわ)町・穂別(ほべつ)町道央南部の支庁。南は内浦湾(噴火湾)の中ほどから室蘭市の地球(ちきゆう)岬を経て太平洋に臨み、平地が多く、北は山地で火山・湖などがあり、東西に細長い地域。管内は四市九町二村。明治三〇年(一八九七)一一月の郡役所廃止により、旧胆振国のうち虻田・有珠・室蘭・幌別(ほろべつ)・白老・勇払の六郡を管轄して成立した室蘭支庁を前身とする。大正一一年(一九二二)八月に胆振支庁と改称。この間、明治三二年五月に虻田郡倶知安(くつちやん)村(現倶知安町・京極町)を岩内(いわない)支庁に移した。同三八年五月には勇払郡辺富内(へとない)村の一部を割いて同郡占冠(しむかつぷ)村を分村、翌三九年四月に占冠村は上川支庁の管轄に移された。同四三年三月には寿都(すつつ)・岩内・小樽の三支庁を廃して後志支庁が成立するが、同時に虻田郡真狩(まつかり)村(現留寿都村・喜茂別町・真狩村)・狩太(かりぶと)村(現ニセコ町)が後志支庁に移され、現在と同じ管轄区域となった。一方、室蘭支庁発足時の明治三〇年はまだ戸長役場時代で、同支庁所属の町村は虻田郡五村・有珠郡六村、室蘭郡九町・四村、幌別郡三村・白老郡三村・勇払郡一六村の計四六町村であった(道戸口表)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「胆振支庁」の意味・わかりやすい解説 胆振〔支庁〕いぶり 「胆振総合振興局」のページをご覧ください。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by