日本の中等教育機関の名称であるが,第2次大戦前と大戦後の中学校があり,名称は同じでも性格はいちじるしく異なる。したがって,一般に前者は旧制中学校,後者は新制中学校と呼ばれている。旧制中学校は高等教育機関への進学を主目的とした男子のみの特権的な中等教育機関であったが,新制中学校は戦後教育改革の理念にもとづいて,すべての男女に開かれた義務制の学校であり,〈小学校における教育の上に心身の発達に応じて,中等普通教育を施すことを目的とする〉(学校教育法35条)新しい意味での中等教育機関である。しかし,両者の間には歴史的に深い関連があり,いまなお学制改革問題の主要な論点の一つになっている。
戦前の日本には旧制中学校のほかに実業学校および高等女学校という3種類の主要な中等教育機関があり,初等教育機関としての小学校に対し上級学校と呼ばれていた。しかし,それらのなかでも旧制中学校とその他の中等教育機関とは別系統の学校であり,さらに,それらの学校も幾重にも複線化され差がつけられていた。
歴史的に概観すれば,1872年(明治5)の〈学制〉では単線型の学校体系が構想されていたが,86年の森有礼文相による国民教育制度改革以来,複線化の傾向がつよめられた。その傾向はさらに99年の中学校令の改正,1907年の義務教育6年制の実施によって促進され,ほぼ制度的に固定化された。すなわち,旧制中学校は〈中等以上ノ社会ノ男子〉に〈高等普通教育〉を施し,旧制高等学校および旧制大学等への進学を主目的とする学校として,実業学校や高等女学校等とは異なる特権的中学校(5年制)とされた。しかし,そのことは小学校からの入学試験の激化をもたらすとともに,中等教育とくに旧制中学校の民主化と大衆化の世論と運動を呼びおこした。
戦後日本の学制改革は新制中学校の発足とともにはじまったといってよいほどに,新制中学校の発足(1947)は画期的意義をもつものであった。伝統的に特権的な〈中等教育〉概念は否定され,新たに青年の発達段階に即して〈前期中等教育(新制中学校)〉および〈後期中等教育(新制高校)〉概念が設定され,前者は義務教育,後者は準義務教育的なものとみなされるようになった。新しい中学校のあり方に対して直接的な影響を与えたのは第1次アメリカ教育使節団報告書(1946)であったが,その背後にみられるアメリカ6・3制教育論の思想は,すでに戦前から野口援太郎や阿部重孝らの教育者によって注目されていた。戦前の高等小学校や青年学校改革の歴史と思想は,その意味で貴重な遺産であり,いわゆる6・3制がたんに〈占領軍の落し子〉ではないことをしめすものである。このことは戦後学制改革の基本構想をつくった教育刷新委員会における中学校論議とその答申(3年制,全日制,男女共学,市町村設置の義務教育制など)がしめしているとおりである。こうして,1947年4月から新制中学校は発足した。
しかし,こうした初期の中学校観や中等教育観は,その後51年の政令諮問委員会の答申,さらに63年の経済審議会の答申(〈経済発展における人的能力開発の課題と対策〉),そして,それらに対応してまとめられた中央教育審議会の答申(〈期待される人間像〉〈後期中等教育の拡充整備について〉)等によって,文字どおり経済主義的な〈教育投資〉論的見地からとらえられ,再編成されるようになった。1958年の教育課程審議会の答申〈小学校,中学校教育課程の改善について〉は,その画期をなすものとして注目される。すなわち,同答申では中学校は義務教育の〈最終段階〉であることが強調される反面,とくに第3学年において生徒の〈進路・特性に応ずる指導〉の必要が強調され,結果的には,〈進学〉する者と〈就職〉または〈家事〉に従事する者とに対するコース制教育が重視されるようになった。そして,それは60年代以降における高校を中心とした〈多様化〉政策によっていっそう促進されるようになった。
いわゆる〈荒れる中学生〉問題(家庭内暴力,校内暴力,非行等)に象徴されるように,今日の日本の青少年の発達と教育のゆがみは,中学校教育のうちにもっとも鋭く現れている。その背景には,1960年代に強調された進路別指導が実質的に崩れ,中学校教育の自立性が失われてきたことがある。高校進学率が70年で80%を超え,70年代半ばは90%台になっており,また大学進学率(短大含む)も70年代に30%を超えている。こうした流れのなかで,普通高校への人気が高まり,特定高校に対する受験競争が激化している。そして受験の影響もあって授業内容が高度化し,ついていけない子どもたちの増加を招いている。したがって,中学校の問題は,たんに非行問題等についての対症療法ではなく,入試制度やカリキュラムの改革,さらには学校制度改革(たとえば中学と高校の接続など)や義務教育のあり方にまで及ぶ国民的な課題といえる。
→中等教育
執筆者:小川 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
小学校のあとに続く、前期中等教育を施す学校。1947年(昭和22)学校教育法の制定により、新学制下の中学校が誕生した。「中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする」(学校教育法45条)。旧制中学校と比較して新制公立中学校の特徴を述べれば次のようである。
(1)小学校に接続するという点では同じであるが、義務教育学校としてすべての者が就学する、(2)男女共学である、(3)授業料が不要である、(4)初等普通教育(小学校)と高等普通教育(高等学校)の中間に位置して中等普通教育を施すが、「職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養う」(同法21条)共通教育学校である、(5)三年制の前期中等教育である、(6)一校一学区制により無試験入学制である。
第二次世界大戦の焦土のうえに、戦前に対応する施設もなく(旧制中学は、戦後は新制高校に昇格した)、まったくのゼロから出発することになったため、他施設への間借り状態が続き、非生産的な共通教育の撤廃の要望も強かった。しかし、たゆまない国民的努力によって定着し、高等学校大衆化の制度的基盤となった。中学校の設置者別比率は2008年(平成20)現在、学校数で、国立0.7%、公立92.6%、私立6.7%である。
制度的には安定しているかにみえる中学校も、その内実は深刻な問題を抱えている。校内暴力や非行の問題、いわゆる落ちこぼれやいじめ、無気力の蔓延(まんえん)などの問題である。これらの問題の背景には、現代日本の精神的風潮、文化的傾向、社会経済構造の変化、家庭・家族や環境の変化など教育外的条件が複雑に絡まりながら存在している。しかし、教育内的要因がないわけではない。とくに中学校教育に直結している要因は、第一に、高等学校の種別化・多様化と、それに応じた選抜試験の激化、第二に、学習指導要領の拘束性の強化や学校管理とその秩序維持に伴う学校および教員・生徒の自発性・自主性の減退である。
中学生たちが基礎学力をしっかりと身につけ、社会的感受性を身につけた有為な市民に育っていくためには、中学校は現在よりもはるかに時間的、物的、人的、そしてなによりも精神的ゆとりを取り戻す必要がある。そのためには教育体系全体の見直しが必要であるが、先にも述べたように、とくに受験教育を除去し、生徒の自主性、自発性に大幅な活動の場面を与えることが肝要である。
1998年(平成10)の学校教育法一部改正により、1999年に中学校・高等学校の前・後期中等教育をあわせた中高一貫教育を施す公立の「中等教育学校」が発足した。中高一貫教育を行う学校は、中学生の「ゆとり」を取り戻すことを目的としているため、高等学校進学時の試験制度が実施されない。しかし、一方では小学校卒業時の学校制度の選択肢が増えることになるため、なんらかの選抜は避けられず、受験競争の低年齢化や受験エリート校化につながるおそれがある。中学生ばかりでなく、人間はその時期に固有のやり方で常時充実していることが最良の学習のための基盤となる。それを可能にする中学校の再創造が今日ほど要請されている時はない。
[桑原敏明]
『山内太郎編『現代中学校教育大系1 基本問題』(1965・明治図書出版)』▽『三羽光彦著『六・三・三制の成立』(1999・法律文化社)』
第二次世界大戦前の男子中等教育機関で、中等以上の社会の男子を対象として進学準備教育を施す、エリート養成的教育機関の性格を帯びていた。中学校は1872年(明治5)の学制に端を発するが、その基礎が成立したのは、86年の中学校令によってである。これは、中学校を高等中学校(修業年限2年)と尋常中学校(5年)の二段階構成とし、前者は文部大臣の所轄する官立として全国に五校設置し、後者は府県立(各府県に一校)としたのである。その後94年に高等学校令が定められて、前者は高等学校と改称され、大学の予科的なものとされ、続いて99年の中学校令の改正によって、後者は中学校(修業年限5年)と改称され、「中学校ハ男子ニ須要(すよう)ナル高等普通教育ヲ為(な)スヲ以(もっ)テ目的トス」(1条)と定められた。こうして中学校は、上級学校、とりわけ大学予科的な高等学校に進学するための準備教育を施す男子高等普通教育機関としての性格を帯びるに至った。その後、大正末期から昭和初期にかけて学校数も生徒数も増加して(1930年に557校、34万5691人)、関連する社会階層も広がり、中等教育の一元化も図られたが、高等普通教育を施すという中学校の性格は変わることのないまま終戦を迎えた。戦後、学校教育法(1947)のもとで、中学校のほとんどが新制の高等学校に改編された。
[津布楽喜代治]
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第2次大戦前の旧制中学校と,戦後の1947年(昭和22)に発足した新制中学校があり,両者は性格・機能ともに大きく異なる。(1)旧制中学校は高等普通教育を目的とした男子中等教育機関。1886年(明治19)の中学校令により,2年制の官立の高等中学校(94年に高等学校と改称)と,府県立の5年制尋常中学校(99年に中学校と改称)の2段階にわかれ,99年の中学校令改正により,中学校は「男子ニ須要ナル高等普通教育」を目的とする5年制の学校となった。1943年(昭和18)には高等女学校・実業学校と制度上統一され,修業年限は4年となり,そのほとんどが48年発足の新制高校に改編された。(2)新制中学校は学校教育法により中等普通教育を目的とする3年制の義務教育機関で,47年4月発足。その前身の多くは国民学校高等科や青年学校であり,旧制中学校との連続性は少ない。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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