原口 聞一
ハラグチ ブンイチ
明治〜昭和期の満州開発者,実業家
- 生年
- 明治6年9月23日(1873年)
- 没年
- 昭和10(1935)年6月12日
- 出生地
- 長崎県西彼杵郡瀬戸村
- 学歴〔年〕
- 東京帝大〔明治32年〕中退
- 経歴
- 大学在学中から井上雅二らと東亜同文会の発足に関わり、明治32年中退して清(中国)に渡る。「満州日々新聞」の創刊に参画、41年奉天支局長。傍ら、各種事業を請け負い、33年日華合弁清和社長。44年辛亥革命で革命党を援助し退去命令を受けるが、大正2年再び渡満、3年奉天居留民会長となり、奉天取引所、奉天商工会議所副会頭を務めたほか、満州土地建物、満州殖産銀行など数種の会社重役を歴任し、満州で病没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
原口聞一 はらぐち-ぶんいち
1873-1935 明治-昭和時代前期の実業家。
明治6年9月23日生まれ。東京帝大在学中から東亜同文会の発足にかかわり,明治32年中退して清(しん)(中国)にわたる。「満州日日新聞」の創刊にくわわり,41年奉天(現瀋陽(しんよう))支局長。また各種事業をうけおい,数種の会社の重役をつとめた。昭和10年6月12日死去。63歳。長崎県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 