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東亜同文会 とうあどうぶんかい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東亜同文会
とうあどうぶんかい

東亜会と同文会が合同してできた近衛篤麿を会長とする文化団体。近衛は日清戦争後の東洋の将来を憂慮し,大アジア主義の見地から同文同種諸邦親善を説き『日清同盟論』を刊行した。また,1898年6月には同文会を組織し,上海に同文会館,同文学堂を設けて青年教育にあたっていたが,同年 11月,当時同様の活動を行なっていた東亜会と合同,東亜同文会となった。

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百科事典マイペディアの解説

東亜同文会【とうあどうぶんかい】

1898年7月,近衛篤麿が組織した同文会と,東亜会が合併して成立した国家主義団体。東亜の大同団結を図り,義和団事件に際しては国策推進に協力。1900年亜細亜(アジア)協会を吸収し,同年9月国民同盟会結成の中心となった。
→関連項目岸田吟香笹森儀助

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世界大百科事典 第2版の解説

とうあどうぶんかい【東亜同文会】

1898年7月に東亜会と同文会が合流して成立,1900年には亜細亜協会を吸収,初代会長を近衛篤麿(貴族院議長,公爵)とし,会の中堅には荒尾精日清貿易研究所(1890年,上海に設立)の門下が多い。会の三大事業は第1が《東亜時論》誌(1898‐99年の1年間),《東亜同文会報告》誌(1899‐1910年まで132号),《支那》誌(1911‐44年,36巻432号)とつづく時論誌の刊行,第2が東亜同文書院生による実地踏査記録をまとめた《支那省別全誌》(1920年に全18巻本)の編集・刊行,第3が東亜同文書院という学校(上海)の経営(1901年第1期生入学,39年大学昇格,45年廃校)である。

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大辞林 第三版の解説

とうあどうぶんかい【東亜同文会】

日清戦争後組織された大陸政策推進団体。1898年(明治31)同文会と東亜会が合併して結成。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東亜同文会
とうあどうぶんかい

1898年(明治31)11月に「日清(にっしん)提携」「支那(しな)保全」を標榜して設立された対外硬(たいがいこう)組織。対外硬とは外部や外国に対して自分の方の主張を通そうとするやり方を意味し、同年のロシアの旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)租借をはじめとする列強による中国租借の進行、康有為(こうゆうい)派の変法運動などに刺激されて同年春組織された東亜会と同年6月設立された同文会が合併したものである。東亜会は犬養毅(いぬかいつよし)、平岡浩太郎(こうたろう)ら進歩党系政治家、新聞『日本』、政教社グループ、東京専門学校・帝国大学の学生などからなる集団で、孫文(そんぶん)派との提携を志向したのに対し、同文会は乙未(いつび)会系の大陸浪人と近衛篤麿(このえあつまろ)グループからなる集団で、張之洞(ちょうしどう)、劉坤一(りゅうこんいつ)ら南方総督派との提携をねらって活動した。1900年(明治33)5月には、政府の補助金を基に中国南京(ナンキン)に南京同文書院を設立(義和団(ぎわだん)事件のため3か月で閉鎖、上海(シャンハイ)に移った。翌年より東亜同文書院と称す)、また02年には、中国人留学生受け入れのため東京にも同文書院を設立した。日露戦争後は教育事業と中国関係書籍雑誌の出版を主たる事業とするようになった。46年(昭和21)解散。[酒田正敏]
『滬友会編・刊『東亜同文書院大学史』(1955)』

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世界大百科事典内の東亜同文会の言及

【アジア】より

…明治期には,アジアではなく〈亜細亜〉が主流だが,その意味内容を見ると,亜細亜はたんなる地理的範囲を示す用語ではなく,きわめて政治的な意味をこめたものとして用いられた。振亜社(1877年,大久保利通らによって結成,80年に興亜会と改名,同人には中村正直,曾根俊虎,宮崎誠一郎など),亜細亜協会(1883年結成,同人に長岡護美,鄭永寧ら),東亜同文会(1898年,東亜会と同文会を合併して近衛篤麿を会長に結成)などがその例である。 欧米によるアジア進出に対抗した〈興亜〉の流れと,日本の欧米化を願う〈脱亜〉の流れは,対立する二つの思想潮流であったが,両者とも〈亜細亜〉という漢字表記(その省略形も含む)を用い,これはやがて〈東亜〉〈大東亜〉という用語として継承された。…

【近衛篤麿】より

…95年学習院院長,96年貴族院議長となる。日清戦争以後は,ロシアの満州進出を日本の脅威と考え,東亜同文会の会長として〈日清同盟〉論を唱え,義和団事件に際してのロシアの満州占領に抗議する国民同盟会の実質上の会長となった。一方で,大津事件(1891),選挙干渉問題(1892)で第1次松方正義内閣を糾弾するなど,藩閥政府には批判的で,政党とくに進歩党,憲政本党に好意的立場をとった。…

【東亜同文書院】より

東亜同文会が上海に設立した学校。1900年5月中国の民俗・言語・文化に親しみ,日中両国の親善に参画する人材を育成する目的で設立した南京同文書院が前身である。…

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