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原古処 はら こしょ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原古処 はら-こしょ

1767-1827 江戸時代後期の儒者。
明和4年9月29日生まれ。原白圭(はくけい),原采蘋(さいひん)の父。筑前(ちくぜん)(福岡県)秋月藩士。亀井南冥(なんめい)にまなび,のち藩校稽古(けいこ)館の教授となる。詩作にすぐれた。文政10年1月22日死去。61歳。本姓は手塚。名は叔暉。字(あざな)は士萌。通称は震平。著作に「古処山堂詩稿」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

原古処

没年:文政10.1.22(1827.2.17)
生年:明和4.9.29(1767.10.21)
江戸中・後期の漢詩人。名は震,字士萌,通称震平,号はじめ臥雪のち古処山人。筑前(福岡県)秋月藩士手塚家に生まれ,藩儒原坦斎の養子となる。福岡の亀井南冥より徂徠学,古文辞学を修め,特に漢詩に才能を発揮し,亀井昭陽の漢文と並び称された。藩学稽古館の教授として学事刷新,実務では納戸頭として手腕を振るう。寛政~文化期(1789~1818)福岡周辺のはなやいだ文事の担い手として活躍するが,親しかった家老連中の政変失脚とともに藩主から退けられ致仕。以後各地を周遊する。在職中も江戸参勤に数次同行した経験により知友は多い。痩身長躯で酒を好み,清新な宋詩風流行のさなか,李白ばりの格調詩のみを終生作り続け,儒者ながら経学書はおろか漢文すら作ることを一切拒絶した狂狷さがある。自筆詩稿が秋月郷土館に残る。<参考文献>宮崎修多「祭酒期の原古処とその周囲」(『福岡県史』近世研究編)

(宮崎修多)

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