20世紀日本人名事典 「原田鎮治」の解説 原田 鎮治ハラダ チンジ 明治・大正期の実業家,鉱山技術者 三菱製鉄会長。 生年万延1年10月7日(1860年) 没年昭和6(1931)年12月28日 出生地江戸・日本橋箱崎町 学歴〔年〕東京大学工科大学採鉱・冶金科〔明治15年〕卒 学位〔年〕工学博士〔大正4年〕 経歴明治9年東京開成学校に入り、15年東京大学工科大学採鉱冶金科を卒業。同年農商務省地質調査所に入り鉱山調査に携わる。20年三菱に転じ各地の鉱山技師・鉱山支配人、33年佐渡鉱山部長を歴任。35年東京三菱合資鉱山部長となり欧米・南アを視察して、36年帰国。43年三菱鉱山部長を経て、大正2年三菱理事となる。のち三菱製鉄(新日本製鉄の前身)の設立と共に会長に就任。日本鉱業会長も務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田鎮治」の解説 原田鎮治 はらだ-ちんじ 1860-1931 明治-大正時代の鉱山技術者,実業家。万延元年10月7日生まれ。はじめ農商務省地質調査所で鉱山調査にたずさわる。明治20年三菱にはいり,各地の鉱山技師などをへて,理事となる。のち三菱製鉄(新日鉄の前身)の設立とともに取締役会長。日本鉱業会長もつとめた。昭和6年12月28日死去。72歳。江戸出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by