デジタル大辞泉 「厨川の柵」の意味・読み・例文・類語 くりやがわ‐の‐き〔くりやがは‐〕【厨川の柵】 岩手県盛岡市の北西部にあった古代の砦とりで。康平5年(1062)前九年の役で、源頼義・義家父子が安倍貞任さだとう・宗任むねとう兄弟を攻め滅した所。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「厨川の柵」の意味・読み・例文・類語 くりやがわ【厨川】 の 柵(き) 平安時代、盛岡市下厨川にあった柵(き)。現在安倍館址(あべたてあと)と通称される所か、これより南方の大館遺跡がこれに当たるかは説が分かれる。前九年の役の康平五年(一〇六二)、源頼義・義家の軍に安倍貞任・宗任の軍が滅ぼされた古戦場。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例