1056年(天喜4)から62年(康平5)まで,陸奥守兼鎮守府将軍源頼義と陸奥国の安倍氏の一族との間で戦われた戦乱。古くは源頼義が陸奥守になった1051年(永承6)から62年までの12年間を乱の期間と見て,奥州十二年合戦といわれていた。安倍頼良は先祖以来の俘囚(ふしゆう)(服属した蝦夷(えみし))の長で,奥六郡(伊沢,江刺,和賀,稗貫,斯波,岩手の6郡)の司であったが,早くから国司に反抗的で,〈六郡を横行し,人民を劫略(ごうりやく)す〉といわれていた。永承年中陸奥守藤原登任(なりとう)と秋田城介平重成の連合軍がこれを攻めたが,かえって鬼切部(おにきりべ)(現宮城県大崎市,旧鳴子町)で大敗するというありさまだった。しかし1056年武人として有名な源頼義が陸奥守になると安倍頼良はこれに服従し,名前も頼義と同音なのをはばかって頼時と改めた。ところが同年権守藤原説貞(ときさだ)の子光貞・元貞の人馬が何者かによって殺傷される事件がおこり,源頼義がこれを頼時の子安倍貞任のしわざと見て罰しようとしたため,頼時は貞任をかばって反乱を起こすにいたった。翌57年7月安倍頼時は鳥海柵(現,岩手県金ヶ崎町)で戦死したが,その後は貞任が一族を率いて戦い,同年11月の黄海(きのみ)(現,岩手県東磐井郡藤沢町か)の戦では大勝を得るという勢いだった。この戦況を転回させる契機になったのが,出羽国の俘囚長清原武則の参戦である。62年7月武則の援助を得た頼義は,小松柵以下の安倍氏の砦を抜き,9月7日ついに貞任を厨川柵(くりやがわのさく)(現,盛岡市)に破った。貞任は戦死し,降参した宗任(むねとう)らの一族は伊予国と大宰府に流されて,安倍氏は滅亡した。源義家が貞任に〈衣のたてはほころびにけり〉と歌いかけ,貞任が〈年をへし糸のみだれのくるしさに〉とつけたという故事は,この乱の一環の衣川の戦のときのこととされている(《古今著聞集》)。この乱はふつうは俘囚安倍氏の国家に対する反乱とされているが,同時に勃興しつつある武士の私闘の側面をももっており,その実相は複雑である。
→後三年の役
執筆者:大石 直正
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平安中期の1051~62年(永承6~康平5)奥羽でおきた安倍氏の反乱。安倍氏が俘囚長として自立的な支配を行っていた奥六郡から侵出して,国守と衝突したことが発端。陸奥守兼鎮守府将軍源頼義の着任後,安倍氏はいったん帰順したが,1056年(天喜4)から全面的な戦争状態となった。苦戦をしいられた頼義は出羽国仙北(せんぼく)の俘囚長清原氏の助けをえて,7年後ようやく鎮定。前後12年に及んだことから,十二年合戦ともいう。この戦乱の過程で,源頼義・義家父子と従軍した東国武士団の間の主従関係が強化され,武家の棟梁としての清和源氏の地位安定につながった。
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…そのため朝廷は頼義に安倍氏追討を命じ陸奥守に再任。翌57年,安倍頼時は討たれたが子の貞任(さだとう),宗任(むねとう)が頑強に抵抗,62年(康平5)清原武則の援を得て頼義はようやく貞任を討ち,宗任を捕らえて乱を平定した(前九年の役)。63年戦功により正四位下伊予守となる。…
…1巻。11世紀の中葉に,陸奥の俘囚(ふしゆう)の長であった安倍頼時・貞任父子が起こしたいわゆる〈前九年の役〉の顚末を,その鎮定に活躍した鎮守府将軍源頼義の功業を中心に叙述したもの。奥六郡に威を振るう俘囚の長安倍頼時が,1051年(永承6)に衣川(ころもがわ)の南に進出し国守藤原登任(なりとう)に叛いて乱をなしたことから説き起こし,源頼義が勅命を受け陸奥守・鎮守府将軍としてその平定に当たり,12ヵ年におよぶ辛労の末,出羽の豪族清原武則の協力を得て,1062年(康平5)に安倍氏の最後の拠点である厨川(くりやがわ)の柵を陥れ,ようやくこれを鎮圧するに至るまでの経緯を,漢文で実録的に描いている。…
※「前九年の役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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