コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安倍宗任 あべのむねとう

8件 の用語解説(安倍宗任の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安倍宗任
あべのむねとう

平安時代中期の武将。頼時の子。貞任の弟。通称鳥海三郎前九年の役で父兄とともに源頼義と戦い,胆沢 (いざわ) 郡鳥海柵 (ちょうかいのき) を本拠として安倍軍の中核をなした。康平5 (1062) 年,厨川 (くりやがわ) の戦いで貞任が敗死すると,宗任は弟家任,則任,正任らとともに頼義に降伏。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あべ‐の‐むねとう〔‐むねたふ〕【安倍宗任】

平安中期の陸奥の豪族。頼時の子。貞任の弟。鳥海三郎ともいう。前九年の役源頼義義家父子と戦い、降伏して伊予に流刑。生没年未詳。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

安倍宗任【あべのむねとう】

平安後期陸奥(むつ)の武将。生没年不詳。頼時の子,安倍貞任(さだとう)の弟。前九年(ぜんくねん)の役で,父兄とともに源頼義と戦ったが,1062年厨川(くりやがわ)で敗れて京都に連行され,さらに伊予(いよ)から大宰府に移され,のち出家して筑紫(つくし)に住んだという。
→関連項目前九年・後三年の役

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安倍宗任 あべの-むねとう

?-? 平安時代中期の豪族。
安倍頼時(よりとき)の子。安倍貞任(さだとう)の弟。陸奥(むつ)の人。前九年の役の天喜(てんぎ)5年(1057)父が戦死したあとも,源頼義(よりよし)の軍とたたかう。康平5年陸奥の厨川柵(くりやがわのさく)の戦いで兄貞任は戦死し,宗任は投降した。伊予(いよ)(愛媛県)に流され,のち大宰府(だざいふ)にうつされた。通称は鳥海三郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

安倍宗任

生年:生没年不詳
平安中期の陸奥国の武将。胆沢郡(岩手県)鳥海柵を本拠とし,鳥海三郎と称す。前九年の合戦で父頼時に従い,陸奥守源頼義の軍勢と戦う。康平5(1062)年8月,頼義が清原武則の軍勢と合流して北上を開始すると,磐井郡小松柵周辺で迎え撃ち,衣川関が破られると鳥海柵を捨て兄貞任と共に岩手郡厨川・嫗戸柵に立てこもり防戦に努めた。9月17日の落城の際一旦は逃れたが,数日後帰降した。康平7年に伊予国に流され,治暦3(1067)年には陸奥国へ逃亡の恐れありとされて大宰府に移され,のちに出家したようである。その娘は平泉藤原氏2代基衡の妻となり,観自在王院を建立した。

(菅野文夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あべのむねとう【安倍宗任】

平安中期の陸奥国の豪族。生没年不詳。安倍頼時の子。貞任(さだとう)の弟。鳥海(とりうみ)三郎という。陸奥守源頼義と安倍氏とが戦った前九年の役のさいには,兄貞任とともに頼義と戦った。1062年(康平5)叔父の僧良照とともに小松柵において源頼義・清原武則らと戦って敗れ,ついで本拠の鳥海柵(岩手県胆沢郡金ヶ崎町)を戦わずして捨て,兄貞任の厨川柵に立てこもった。同年9月17日の厨川柵落城のさいには傷をうけ,いったんは城を捨てて逃れたが,数日後に一族のものなど9人とともに降参した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あべのむねとう【安倍宗任】

平安後期の陸奥むつの豪族。頼時の子、貞任の弟。前九年の役で源頼義らと戦ったが、1062年厨川柵くりやがわのさくで降伏、伊予に流され、のち大宰府に移されたという。生没年未詳。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安倍宗任
あべのむねとう

生没年不詳。平安後期、奥羽の武将。安倍頼時(よりとき)の子、貞任(さだとう)の弟。鳥海(とりうみ)三郎と称し、鳥海柵(とりうみのき)(岩手県金ヶ崎町)を守ったが、これは胆沢(いさわ)川を挟んで、胆沢城ののどを扼(やく)する要衝(ようしょう)であった。前九年の役(1051~1062)では、兄貞任と並んで、安倍軍抵抗の指揮をとったが、厨川柵(くりやがわのき)(盛岡市)の戦いに敗れて降伏し、捕虜として都に上せられ、のち九州に配流となった。都に上ったとき、梅の花を示し「宗任、これはいかに」ときく公家(くげ)に、「我が国の梅の花とは見たれども、大宮人はいかがいふらん」と答えたという伝えは、有名である。[高橋富雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の安倍宗任の言及

【安倍貞任】より

…平安時代の陸奥国の豪族。安倍頼時の嫡子。通称厨川二郎。1056年(天喜4)結婚を拒否されたことを恨んで,陸奥権守藤原説貞(ときさだ)の子光貞・元貞を襲撃し,前九年の役を起こし,陸奥守源頼義らと戦うに至った。57年に父頼時が戦死してからは,安倍一族の総帥となり,同年冬には黄海(きのみ)(岩手県東磐井郡藤沢町)において頼義軍を破った。しかし62年に出羽国の清原氏が頼義軍に加わってからは,小松柵・衣川(ころもがわ)柵・鳥海柵と敗戦がつづき,同年9月17日,本拠の厨川柵(岩手県盛岡市)において敗死した。…

【奥州安達原】より

…安倍の忠臣善知鳥安方が文治と名を変えて,安倍貞任の子の千代童の身を守護している。文治が千代童の薬の代に禁制の鶴を殺したのを見た南兵衛が実は安倍宗任で,文治とは主従の関係。宗任がみずから鶴殺しの科人となり,都に引かれたのは,八幡太郎義家に一矢を報いんがためだった。…

※「安倍宗任」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

安倍宗任の関連キーワード岩手県胆沢郡岩手県胆沢郡金ケ崎町永栄岩手県胆沢郡金ケ崎町永沢岩手県胆沢郡金ケ崎町西根岩手県胆沢郡金ケ崎町西根中野岩手県胆沢郡金ケ崎町西根中村岩手県胆沢郡金ケ崎町西根幅岩手県胆沢郡金ケ崎町西根森岩手県胆沢郡金ケ崎町三ケ尻岩手県胆沢郡金ケ崎町六原

今日のキーワード

太陽系外惑星

太陽以外の恒星を回る惑星。その存在を確認する方法として、(1)惑星の重力が引き起こす恒星のわずかなふらつき運動を、ドップラー効果を用いて精密なスペクトル観測により検出する、(2)惑星が恒星の前面を通過...

続きを読む

コトバンク for iPhone