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源頼義 みなもとのよりよし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

源頼義
みなもとのよりよし

[生]永延2(988)
[没]承保2(1075).7.13.
平安時代中期の武将。頼信の長子。長元3 (1030) 年平忠常の乱平定のため父とともに上総に下り,勇名をはせ平直方の婿となった。相模守,常陸介を歴任。永承6 (51) 年安倍氏の謀反鎮定のため陸奥守となって赴任し,安倍頼時を帰服させた。

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デジタル大辞泉の解説

みなもと‐の‐よりよし【源頼義】

[988~1075]平安中期の武将。頼信の長男。平忠常の乱で父に従って戦功をあげ、前九年の役では鎮守府将軍として安倍氏を討ち、東国における源氏の勢力を強めた。

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百科事典マイペディアの解説

源頼義【みなもとのよりよし】

平安中期の武将。源頼信の子。陸奥守兼鎮守府将軍。武芸に秀で,坂東武士の多くを門客として組織。陸奥(むつ)の安倍頼時・貞任(さだとう)・宗任(むねとう)が反乱を起こしたとき,10余年にわたって苦戦を重ねたが,出羽(でわ)の清原氏の援護を得て鎮圧に成功。
→関連項目安倍宗任安倍頼時多賀城鶴岡八幡宮陸奥話記横山党

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源頼義 みなもとの-よりよし

988-1075 平安時代中期の武人。
永延2年生まれ。源頼信の長男。永承6年(1051)安倍頼時の乱に陸奥守(むつのかみ)として派遣され,ついで鎮守府将軍をかねる。子の義家とともに12年をかけて鎮定(前九年の役),東国に源氏の基盤をきずいた。功により正四位下,伊予守(いよのかみ)となる。承保(じょうほう)2年7月13日死去。88歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

源頼義

没年:承保2(1075)
生年:永延2(988)
平安後期の武将。河内源氏の祖頼信の子。没年には異説がある。一時期,小一条院(敦明親王)に仕え都での生活を送ったが,地方での働きが大きい。平忠常の乱(1028)では父に従って追討し,前九年の役(1051~62)では陸奥守兼鎮守府将軍として子義家と共に「俘囚」の長安倍頼時の反乱を長年月にわたる苦戦のすえ鎮定し,勇名をとどろかせた。このときの精鋭は父以来の,また自ら相模,武蔵守などを務めた際結びつきを深めた坂東武士たちであった。冷静沈着にして武略に長け将の器という評や武勇談は『陸奥話記』に詳しい。父と共に11世紀中期に菩提寺通法寺(羽曵野市)を開く。国史跡に指定されたその寺跡に墓がある。

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

みなもとのよりよし【源頼義】

988‐1075(永延2‐承保2)
平安中期の武将。源頼信の長男。母は修理命婦(しゆりみようぶ)。武芸にすぐれ,平忠常の乱には父に従って坂東に下向,〈勇決群を抜き,才気世を被う〉と称賛されたという。相模守として在任中,弓馬の士でその門客となる者が多く,東国武士を主従関係のもとに組織した。1051年(永承6)陸奥守,53年(天喜1)鎮守府将軍を兼ねる。当時陸奥に勢力をふるい代々の国司に反抗していた安倍頼時は頼義の着任と同時に帰順,しかし頼義の任期が満ちると56年,両者の間に争いが起こった。

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大辞林 第三版の解説

みなもとのよりよし【源頼義】

985~1078) 平安中期の武将。頼信の長男。子の義家とともに前九年の役を鎮定、東国における源氏の勢力を強化。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

源頼義
みなもとのよりよし
(988―1075)

平安中期の武将。頼信(よりのぶ)の子。1031年(長元4)父に従い、平忠常(ただつね)の乱を鎮定した。小一条院(こいちじょういん)(敦明(あつあきら)親王)の判官代(ほうがんだい)として仕え、功により36年相模守(さがみのかみ)となり、東国の武士を従えた。51年(永承6)陸奥(むつ)の安倍頼時(あべのよりとき)(頼良(よりよし))が背くと、頼義は陸奥守として鎮撫(ちんぶ)に赴いた。頼時は降服し、53年(天喜1)頼義は鎮守府将軍となったが、56年に頼時はふたたび反乱を起こした。翌年、頼義は頼時を討ったが、頼時の子貞任(さだとう)を中心とする安倍氏の抵抗の前に苦戦し、出羽(でわ)の清原(きよはら)氏の援助を得て62年(康平5)やっと貞任を討ち、安倍氏を滅ぼし(前九年の役)、その功により翌年、正四位下、伊予(いよ)守となった。妻は平直方(なおかた)の娘。[上横手雅敬]

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世界大百科事典内の源頼義の言及

【前九年の役】より

…1056年(天喜4)から62年(康平5)まで,陸奥守兼鎮守府将軍源頼義と陸奥国の安倍氏の一族との間で戦われた戦乱。古くは源頼義が陸奥守になった1051年(永承6)から62年までの12年間を乱の期間と見て,奥州十二年合戦といわれていた。…

【鶴岡八幡宮】より

…旧国幣中社。1063年(康平6)源頼義が安倍貞任を追討する際戦勝祈願をした石清水(いわしみず)八幡宮を由比郷に勧請したのが始まりで,その子義家は81年(永保1)修復を加えるとともに小林郷に移した。その後1180年(治承4)平氏打倒の旗印をかかげて伊豆に蜂起した頼朝は同宮を小林郷北山の地に遷した。…

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