去川関跡(読み)さるかわのせきあと

日本歴史地名大系 「去川関跡」の解説

去川関跡
さるかわのせきあと

[現在地名]高岡町内山

内山うちやま村の飛地去川の薩摩街道筋にあった鹿児島藩の関所。現去川小学校前の国道一〇号の辺りにあったとされる。去川は「さりかわ」とも読まれたらしい。浦之名うらのみよう村から赤江あかえ(大淀川)北岸を通る薩摩街道は、この地から去川渡で南岸下六しもろくに渡る。元禄国絵図には去川の舟渡しは広さ四〇間・深さ二尋二尺とある。定番は明治初年まで二見家が勤めた。明治一五年(一八八二)の所有山林之儀ニ付願(宮崎県林制史資料)および「高岡郷土史」によれば、永禄年間(一五五八―七〇)伊勢国二見ふたみうら(現三重県二見町)から移ってきた二見石見守久信が、家族家来二〇〇人余を引連れて開拓したのが去川村の始まりといい、その後鹿児島藩から去川の御番手を命じられたと伝える。ただしその年次ははっきりしない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android