口分田村(読み)くもでむら

日本歴史地名大系 「口分田村」の解説

口分田村
くもでむら

[現在地名]筑後市西牟田(にしむた)

山(やま)ノ井(い)川右岸、八女(やめ)台地の西端に位置する。東は流(ながれ)村、西は生津(なまづ)村(現三潴町)。三潴(みづま)郡に属し、本高は一五八石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高八〇石・役高一一〇石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一一一石。文化四年(一八〇七)の畝付帳によると本田七町三反余・開田一反余・畑田二反余・畑六反余・居屋敷一反余。


口分田村
くもでむら

[現在地名]長浜市口分田町

保田(ほうで)村の南に位置し、東は榎木(えのき)村、西は新庄東(しんじようひがし)村。古代の土地制度の「口分田」に由来するとされる。永享七年(一四三五)の「長浜八幡宮勧進猿楽記録」に「口分田殿」とみえる。天文七年(一五三八)六角定頼の浅井氏攻めに際し、「口分田」に上坂定信を配している(「六角定頼陣立注文」朽木文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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