日本歴史地名大系 「口長尾村」の解説 口長尾村くちなごむら 岐阜県:郡上郡明方村口長尾村[現在地名]明方村奥住(おくずみ)吉田(よしだ)川流域にあり、南下流は畑佐(はたさ)村。長尾村よりの分村と思われ、正保郷帳に長尾村とある。元禄郷帳では高三五石余。安永二年(一七七三)の郡上領留記(大西文書)では村高は畑高のみであった。明治五年(一八七二)の村明細帳では家数九・人数八四、馬七、職人一。同八年奥長尾(おくなご)村・漆原(うるしばら)村・鎌辺(かまべ)村・坂本(さかもと)村と合併して奥住村となる。真宗大谷派の浄楽(じようらく)寺がある。天正一八年(一五九〇)村域内において、八幡(はちまん)城(現八幡町)城主稲葉貞通が銀鉱を発掘させ、運上として豊臣秀吉に金一千枚を上納したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by