古海卓二(読み)フルミ タクジ

20世紀日本人名事典 「古海卓二」の解説

古海 卓二
フルミ タクジ

大正・昭和期の映画監督



生年
明治27(1894)年3月3日

没年
昭和36(1961)年4月10日

出生地
福岡県八幡市(現・北九州市)

別名
ペンネーム=獏 与太平

学歴〔年〕
中央大学法科夜間部

経歴
大正6年石井漠の旭歌劇団に入ってオペラの台本を書き、翌年小沢美羅二(山本礼三郎)らと「日本バンドマン一座」を結成。大杉栄らアナキストやダダイスト辻潤、高田保などと親交を持つ。田谷力三、藤原義江らの浅草歌劇団の組織にも参加し、10年には浅草オペラの作者となる。同年大正活映で「大本教・伏魔殿」を初監督し大ヒットさせた。その後牧野教育映画に入社し「小さな勝利者」などを撮るが、牧野と衝突し退社東亜キネマ、帝キネと移る。14年「行路」など問題作を次々と発表しドル箱監督となるがまたも会社首脳と対立し退社する。また第一線映画連盟を設立し自由配給制度と映画人の職能組合結成を提唱するが1年で挫折。昭和2年古海プロを創立、「国聖大日蓮」を作って渡欧。帰国後はアナキズムからコミュニズム転向。その後右太プロで「日光の円蔵」「旗本退屈男」などを監督するが、6年撮影所のストで乱闘しクビになる。阪妻プロ極東、甲陽と渡り歩くが12年の「ボーイスカウト」を最後映画界を去る。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古海卓二の言及

【旗本退屈男】より

…佐々木味津三(1896‐1934)の同名の時代小説(1929‐31)の映画化で,はでな衣装に諸羽流青眼くずしの太刀さばき,そして眉間に三日月傷の主人公,退屈男こと早乙女主水之介は,戦前戦後を通じて市川右太衛門の当り役になった。1930年の市川右太衛門プロダクション製作,古海卓二監督《旗本退屈男》から63年の佐々木康監督による東映作品《旗本退屈男・謎の竜神岬》まで30作が作られている。山田洋次監督,渥美清主演の松竹作品《男はつらいよ》シリーズ(1969年から95年まで全48作)が出るまでは,日本映画史最長の人気シリーズであった。…

※「古海卓二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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