デジタル大辞泉
「田谷力三」の意味・読み・例文・類語
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田谷 力三
タヤ リキゾウ
- 職業
- 声楽家
- 専門
- テノール
- 生年月日
- 明治32年 1月13日
- 出生地
- 東京・神田明神下(千代田区外神田3丁目)
- 経歴
- 10歳の時、三越少年音楽隊に入り、フレンチホルンを演奏。18歳でイタリア人運営の赤坂・ローヤル館でオペラ歌手としてデビュー。大正6年「ブン大将」で初舞台を踏み、浅草オペラ時代に「ボッカチオ」「天国と地獄」「ディアボロ」などのオペレッタに主演。12年浅草オペラ解散によりヴォーカルフォアを結成。昭和6年浅草に再び帰りオペレッタを主宰し、8年には田谷力三一座を結成、オペラやミュージカルに活躍。24年に「ブン大将」により喜歌劇界に復帰。56年3月に女優・水上智佐子と結婚。62年には米寿コンサートを開くなど、最後まで歌い続けた。
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和45年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和51年〕 純金功労賞〔大正9年〕,伊庭歌劇賞〔昭和33年〕,芸術祭賞奨励賞(大衆芸能部門)〔昭和39年・41年〕,日本レコード大賞特別賞(第16回)〔昭和49年〕,芸術祭賞優秀賞(大衆芸能部門1部)〔昭和53年〕,都民文化栄誉章〔昭和60年〕,浅草芸能大賞(第1回)〔昭和60年〕
- 没年月日
- 昭和63年 3月10日 (1988年)
- 家族
- 妻=水上 智佐子(女優)
- 伝記
- 連続テレビ小説 こころの浅草浅草オペラ物語―歴史、スター、上演記録のすべて浅草のひと―久保田万太郎から渥美清まで浅草の百年―神谷バーと浅草の人びと こころの浅草編集部 編増井 敬二 著鈴木 としお 著神山 圭介 著(発行元 長崎出版芸術現代社東京新聞出版局踏青社,審美社〔発売〕 ’03’90’89’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
田谷 力三
タヤ リキゾウ
大正・昭和期の声楽家(テノール)
- 生年
- 明治32(1899)年1月13日
- 没年
- 昭和63(1988)年3月10日
- 出生地
- 東京・神田明神下(現・千代田区外神田3丁目)
- 学歴〔年〕
- 東京三越少年音楽隊〔大正6年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 純金功労賞〔大正9年〕,伊庭歌劇賞〔昭和33年〕,芸術祭賞奨励賞(大衆芸能部門)〔昭和39年 41年〕,紫綬褒章〔昭和45年〕,日本レコード大賞特別賞(第16回)〔昭和49年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和51年〕,芸術祭賞優秀賞(大衆芸能部門1部)〔昭和53年〕,都民文化栄誉章〔昭和60年〕,浅草芸能大賞(第1回)〔昭和60年〕
- 経歴
- 10歳の時、三越少年音楽隊に入り、フレンチホルンを演奏。18歳でイタリア人運営の赤坂・ローヤル館でオペラ歌手としてデビュー。大正6年「ブン大将」で初舞台を踏み、浅草オペラ時代に「ボッカチオ」「天国と地獄」「ディアボロ」などのオペレッタに主演。12年浅草オペラ解散によりヴォーカルフォアを結成。昭和6年浅草に再び帰りオペレッタを主宰し、8年には田谷力三一座を結成、オペラやミュージカルに活躍。24年に「ブン大将」により喜歌劇界に復帰。62年には米寿コンサートを開くなど、最後まで歌い続けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
田谷力三
たやりきぞう
(1899―1988)
テノール歌手。東京・神田の生まれ。10歳で三越(みつこし)呉服店少年音楽隊に入り音楽修業。1917年(大正6)美声を認められてローシー主宰の歌劇団に入団したが、翌年ローシーが帰国してからは、浅草の観音劇場や金竜館の舞台に立ち『ボッカチオ』などに主演して、いわゆる浅草オペラの黄金時代を築いた。関東大震災(1923)後も「ヤパン・モカル」「笑いの王国」などに出演する一方、NHK放送オペラやレコード吹き込みに活躍、第二次世界大戦後も衰えぬ美声と情熱で歌い続け、84年(昭和59)には85歳で音楽生活75周年のリサイタルを開いた。
[寺崎裕則]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
田谷力三 たや-りきぞう
1899-1988 大正-昭和時代のテノール歌手。
明治32年1月13日生まれ。10歳で三越呉服店の少年音楽隊にはいる。大正6年ローシーが主宰する赤坂ローヤル館の歌劇団に入団し,デビュー。翌年浅草オペラにうつり,黄金期のスターとして活躍した。昭和63年3月30日死去。89歳。東京出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
田谷力三
たやりきぞう
[生]1899.1.13. 東京
[没]1988.3.30. 東京
大正期から第2次世界大戦後まで活躍したテノール歌手。三越少年音楽隊出身。沢崎定之,太田恒子に声楽を学ぶ。赤坂ローヤル館の歌劇以来浅草オペラではなばなしく活躍した。 89歳で没するまで若々しい声を長く保ち,人気を博した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
田谷 力三 (たや りきぞう)
生年月日:1899年1月13日
大正時代;昭和時代の声楽家
1988年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の田谷力三の言及
【セビリャの理髪師】より
…しかし,原作のせりふのもつ快適なリズムとエスプリにかなったロッシーニ特有の,流麗で才気煥発,奔流のような音楽の魅力によってしだいに声価を高め,イタリア・オペラの代表作として愛好されている。日本初演は1917年11月テノール歌手田谷力三ほかによって赤坂ローヤル館で行われ,21年にはロシア歌劇団,43年には藤原歌劇団が抄演。48年3月藤原歌劇団によって全曲が演奏された。…
※「田谷力三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」